【医師論文解説】脳の修復 DNAメチル化が星状細胞を神経幹細胞に変身させる!?【OA】
背景:
成体哺乳類の脳には、新しいニューロンを生成する能力が限られていると長らく考えられてきました。
しかし、海馬や脳室下帯(vSVZ)などの特殊な領域では、成体でも神経新生が起こることが分かってきました。マウスのvSVZでは、側脳室壁に存在する特殊な星状細胞が成体神経幹細胞(NSC)として機能します。これらのNSCは活性化されると、中間増幅前駆細胞(TAP)となり、さらに分裂して神経芽細胞を生み出します。神経芽細胞は吻側移動経路(RMS)に沿って嗅球へ移動し、そこで介在ニューロンへと分化して既存の神経回路に組み込まれます。
一方で、線条体や大脳皮質などの他の脳領域に存在する通常の星状細胞は、通常は新しいニューロンを生成する能力を持たないと考えられてきました。しかし、最近の研究により、脳虚血などの傷害後には、これらの星状細胞も神経芽細胞を生成できることが報告されています。
興味深いことに、静止状態のNSCと通常の星状細胞は、非常に似た遺伝子発現プロファイルを持っています。では、なぜ同じような遺伝子発現を持つにもかかわらず、これらの細胞は全く異なる機能を持つのでしょうか?この疑問に答えるため、本研究ではエピジェネティクス、特にDNAメチル化に着目しました。
方法:
研究チームは、単一細胞核、メチローム、トランスクリプトームシーケンシング(scNMT-seq)という最新の技術を用いて、成体マウスのNSCとその子孫細胞、そして線条体と大脳皮質の星状細胞から、遺伝子発現、クロマチンアクセシビリティ、DNAメチル化の3つのデータを同時に取得しました。
さらに、一過性の全脳虚血モデルを用いて、傷害後の星状細胞の変化を調べました。虚血後2日目と21日目にvSVZと線条体からGLAST陽性細胞を分離し、scNMT-seqを行いました。
また、Dnmt3aノックアウトマウスを用いて、de novo DNAメチル化が傷害誘導性の神経新生に必要かどうかを調べました。
結果:
NSCと星状細胞のメチローム比較:
静止状態のNSC(qNSC2)と通常の星状細胞は、非常に似た遺伝子発現プロファイルを持っていましたが、DNAメチル化パターンは大きく異なっていました。
星状細胞では、アミノ酸輸送や代謝、イオン輸送、コレステロール代謝などの基本的な星状細胞機能に関連する遺伝子の近くにある領域が低メチル化されていました(星状細胞LMR)。
一方、NSCでは、細胞分化の調節や転写因子に関連する遺伝子の近くにある領域が低メチル化されていました(NSC LMR)。
NSC分化に伴うメチローム変化:
NSCが活性化され、TAPや神経芽細胞へと分化していく過程で、大規模なDNAメチル化の変化が観察されました。
特に、神経芽細胞で発現する遺伝子は、TAPの後期段階で脱メチル化されることが分かりました。これは、後の遺伝子発現を可能にするための「準備」と考えられます。
虚血後の星状細胞の変化:
虚血後2日目には、vSVZと線条体の両方で、多くの星状細胞がNSC様の転写プロファイルを示しました。
驚くべきことに、これらの細胞は星状細胞のメチローム(星状細胞LMRの低メチル化とNSC LMRの高メチル化)ではなく、NSCのメチローム(星状細胞LMRの高メチル化とNSC LMRの低メチル化)を示しました。
21日目には、vSVZと線条体の両方で、正常な星状細胞の転写プロファイルとメチロームを持つ細胞が回復していました。
Dnmt3aノックアウトの影響:
対照群のマウスでは、虚血後に線条体での神経芽細胞の数が顕著に増加しました。
しかし、Dnmt3aをノックアウトした線条体では、この反応がほぼ完全に消失しました。
議論:
本研究は、DNAメチル化が成体脳の神経幹細胞機能と星状細胞機能を区別する重要な要因であることを示しています。NSCは独自のメチロームを持ち、これが通常の星状細胞とは異なる機能を可能にしていると考えられます。
星状細胞のメチロームは、星状細胞の遺伝子発現を安定化させ、神経新生関連遺伝子を抑制することで、細胞を星状細胞の運命に「ロック」していると推測されます。虚血などの傷害は、このロックを解除し、星状細胞がNSC様のメチロームを獲得することを可能にします。
Dnmt3aノックアウト実験の結果は、このエピゲノムの再モデリングが単なる副次的な現象ではなく、傷害誘導性の神経新生に重要な役割を果たしていることを示唆しています。
結論:
本研究は、DNAメチル化が成体脳の神経幹細胞機能と星状細胞機能を制御する重要な要因であることを明らかにしました。この発見は、脳の再生医療や脳腫瘍治療の新たな標的としてDNAメチル化を位置づけ、今後の研究と治療法開発に大きな影響を与える可能性があります。
文献:
Kremer LPM, Cerrizuela S, El-Sammak H, Al Shukairi ME, Ellinger T, Straub J, Korkmaz A, Volk K, Brunken J, Kleber S, Anders S, Martin-Villalba A. DNA methylation controls stemness of astrocytes in health and ischaemia. Nature. 2024 Sep 4. doi: 10.1038/s41586-024-07898-9. Epub ahead of print. PMID: 39232166.
この記事は後日、Med J SalonというYouTubeとVRCのイベントで取り上げられ、修正されます。
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用語解説
エピジェネティクス:
DNAの塩基配列の変化を伴わずに、遺伝子の発現を制御する仕組みを研究する分野です。主にDNAメチル化やヒストン修飾などが含まれます。
単一細胞核、メチローム、トランスクリプトームシーケンシング(scNMT-seq):
これは最新の技術で、1つの細胞核から同時に3種類の情報(DNAメチル化、クロマチンアクセシビリティ、遺伝子発現)を取得できる方法です。従来の方法では細胞集団の平均的な情報しか得られませんでしたが、この技術により個々の細胞の詳細な状態を知ることができます。
クロマチンアクセシビリティ:
DNAが巻き付いているヒストンタンパク質の状態によって、遺伝子の読み取りやすさが変わります。アクセシビリティが高いほど、その領域の遺伝子は発現しやすくなります。
GLAST陽性細胞:
GLASTはグルタミン酸アスパラギン酸トランスポーターの略で、主に星状細胞や神経幹細胞に発現しています。GLAST陽性細胞を分離することで、これらの細胞を特異的に研究することができます。
Dnmt3aノックアウト:
Dnmt3aは新規のDNAメチル化を行う酵素をコードする遺伝子です。この遺伝子をノックアウト(機能を失わせる)することで、新たなDNAメチル化が起こらなくなります。
de novo DNAメチル化:
「de novo」はラテン語で「新しく」という意味です。de novo DNAメチル化は、それまでメチル化されていなかったDNA領域に新たにメチル基を付加することを指します。これはDnmt3aやDnmt3bといった酵素によって行われます。
所感:
本研究は、成体脳の可塑性とエピジェネティクスの関係に新たな光を当てた画期的な成果です。特に、単一細胞レベルでの多層的な解析(遺伝子発現、クロマチンアクセシビリティ、DNAメチル化)を可能にしたscNMT-seq技術の応用は、細胞の状態と機能をより深く理解することを可能にしました。
傷害後の星状細胞がNSC様のメチロームを獲得するという発見は、脳の自己修復メカニズムの理解を大きく前進させるものです。この知見は、将来的に脳卒中や神経変性疾患の治療法開発につながる可能性があります。
一方で、DNAメチル化の変化が細胞運命の変更の原因なのか結果なのかという問題は、さらなる研究が必要です。また、ヒトの脳でも同様のメカニズムが働いているかどうかを確認することが重要です。
総じて、本研究は基礎神経科学と再生医療の両分野に大きなインパクトを与える成果であり、今後の発展が大いに期待されます。
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