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昭和百年と『鏡子の家』
【9/24(Tue.)】
「三島由紀夫メガラニカ。」と銘打っているのに、三島由紀夫の作品になかなか辿り着けない。さっさと三島作品を出してしまえばとも思うが、それでは曲がない。ここはワンクッション置いておく。
昨日の投稿で坪内祐三に登場してもらったので、彼が三島の『鏡子の家』について書いた一文を取り出してみる。
『東京タワーならこう言うぜ』(幻戯書房)に収められた「昭和八十年に読む『鏡子の家』」は、雑誌「エンタクシー」(2005年12月号)に載ったものだ。
2005年は〈昭和八十年〉であり、来年2025年は当然だが〈昭和百年〉である。
『鏡子の家』という小説にずっと関心を持っていた坪内は、しかし肝腎のこの小説を年来読み通せないでいた。
執筆時の日記が『裸体と衣裳』(新潮文庫)に収められたことをきっかけに、『鏡子の家』に興味を抱いた坪内青年(当時25歳)は、いくどか中断をみて、最後のチャンスとばかりに2005年のうちに読み終えることを意図して読み、はたして読み終えることができた。
今年(2005年のこと:引用者註)を逃しては、私は、きっと『鏡子の家』をきちんと通読できない、と思った。
ただの小説として読むことはできるだろう。
しかし、それ以上のリアリティを持ったものとしてこの小説を読むことはできないだろう。
三島由紀夫は昭和を生きた作家である。
昭和三十三年から三十四年にかけて執筆された『鏡子の家』は、昭和の小説である。そして今年は昭和八十年である。かろうじて、昭和が、すなわち昭和的なるものが続いている気がする。
これが二十年後、昭和百年になったとしたら、明治百年の時同様、単なる記念数字、懐古的な数字になってしまうだろう。
そして、来年2025年は〈昭和百年〉である。
わたしは来年、『鏡子の家』を読んでみたいと思う。その行為からは、坪内の言う〈リアリティ〉は失われているだろうか。彼がこの小説を読み終えた〈昭和八十年〉からすでに20年近くが経過している。
「昭和的なるもの」はもうなくなっているのだろうか。
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