見出し画像

視覚障がいを知ろう(7)ブラインド&ロービジョン 就職について

『法友文庫だより』2014年冬号より

 視覚障がい者は、どんな日常を過ごしているの? 幼い頃はどうしていた? 霊友会法友文庫点字図書館の職員で、ロービジョン(弱視)当事者であるMと、ブラインド(全盲)当事者である岩上義則 館長が、対談形式で様々な角度から「視覚障がい」を語ります。
 第3回のテーマは「就職について」です。

岩上義則館長…昭和10年代生まれ 石川県出身
職員 M…昭和30年代生まれ 東京都出身



子どもの頃の夢


岩上 昔は男の子なら電車の運転手、プロ野球の選手、警察官などという希望をよく聞きました。その点、盲学校の生徒の場合、やっぱり目が見えないという現実が厳しいので、そんな話はあまりありません。
 ほとんどの生徒が按摩・鍼・灸の仕事をすることになるので、「人の病気を助ける立派な治療家になりたい」とか「有名な温泉地で開業して、社員を大勢雇える大治療院の社長になりたい」というような望みがほとんどで、さすがに運転手やパイロットなどという話にはなりません。それでも、先生になりたい、音楽家になりたいという人はいましたけどね。
 Mさんはどんな仕事をしたいと思っていましたか?

M そうですね……、記憶をたどっていっても思い浮かびませんが、一つだけハッキリ覚えているのは、インテリアデザイナーに憧れていて、よく本屋に立ち寄り、スエーデンとかデンマークのインテリア雑誌を立読みしたり、ちょっとお金に余裕があれば購入していました。
 10代の終わり頃、専門学校の願書まで貰いに行ったこともあるのですが、講習内容を見て、設計やら色のデザインとか細かなことが自分には無理かと思い、諦めました。

岩上 やっぱり目のことで諦めたというのは残念ですね。でも、諦めるだけでは済まないでしょ?
「目が見えにくくても、これならできるのではないか」という希望を探すことはなかったんですか?
 Mさんくらいの視力があれば、インテリアデザイナーが無理でも、事務系でできることは多くあるでしょうし、そうでなくても私より可能性が広いですよね。

M 私は、こう見えても、今と違って内気で人見知りで無口の三拍子揃った内向的な人だった…、とまでは言いませんが、近いものはありましたので、コツコツ何かを作るような仕事がしたかったのは確かです。
 だから一番苦手なのは、事務職と人前で話すことでした。なのに初めて入った会社が小さいながらも商事会社で営業の仕事でした。

岩上 私は、高校の頃は、はっきり按摩・鍼・灸の仕事をするんだって決めてましたよ。だから、高校卒業前には金沢市の郊外に治療院ができる家を建ててもらってました。
 それなのに、決めたはずの道へ進まないというのは、人の運命って面白いもんですね。点字図書館でほぼ50年間も仕事をすることになってしまったんですから。これを縁と言うのでしょうね。


自分に何が出来るか考えられなかった。だから必死だった

M 縁と言いますと、もう一つ面接を受けた会社があったんです。「ぜひ来て下さい」と言われたのですが、実際は、その会社よりずっと小さい会社を選びました。何故なら最初の会社は経理に人が欲しかったらしく、入社したら経理の仕事をさせられると思ったのと、雰囲気が自分に合っていないと感じたからです。

 実はその頃プータローでして、この2つの会社は、父親が勤めている会社のお得意様で、実際のところコネで面接を受けたのです。
 その当時は本当に自分に何が出来るかなんて考えられませんでしたね。
 だからコネでも何でも縁があって入社できたのだから、とりあえずは仕事を覚えて少しでも役に立とうと一生懸命でした。
 主力商品でもある何百とある自動車部品の名前、番号(10桁)を暗記して在庫管理をしていましたし、顧客の電話番号も暗記していました。
 今でも名前と番号が言えますよ。(笑)

岩上 かなり努力されたんですね。

M ただ、事務に関して言えば、帳簿やら伝票、在庫チェックなど見て記入することは他人より時間がかかるし、疲れやすいこともあって苦手でした。

 当時、視覚障がい者とは「全盲」の方だけと思っていましたから、自分が視覚障がい者だなんて自覚はありませんでした。ただ他の人より目が悪いくらいにしか思っていなかったし、誰も私のことを障がい者扱いはしていませんでした。


視覚障がい者の就労問題について

岩上 先ほど見えない者の職業が按摩・鍼・灸だと言いましたが、それを嫌う人も大変多いんです。人間には一人一人に個性と才能があるのに、一つの職業に決められてしまうのも不自然な話ですよね。だから、視覚障がい者の新職業がいつの時代も大きな課題になってるんですよ。
 有力なところでは、ピアノの調律、シイタケ栽培、養鶏などへの取り組みがありますが、あまり成功例がないんです。

 ところで、「障害者差別解消法」が成立しましたが、障がい者の就職って本当に大変なんですよ。パソコンなどIT機器を使ったりして活字に対応する仕事もかなりできるようになっているのに、弱視も全盲も採用試験では点字や拡大文字で受験さえできない状況ですからね。
「障害者差別解消法」は3年後の平成28年から施行されますが、本当に差別が無くなって雇用が進むんでしょうかねえ。

M 「差別的取扱の禁止」に関しては国・公共団体、民間事業者は法的義務。「合理的配慮の不提供の禁止」に関しては、国・公共団体は法的義務。民間事業所は努力義務ですから、なかなか難しいように見受けられますね。(※注)

 進んで視覚障がい者を雇用する企業なら合理的配慮(点字、拡大文字)などを取り入れるでしょうけど、そういった企業はどれくらいあるんでしょうかね。もちろん、優秀な人材に関して企業は関係なく雇用することはあるでしょうけど、ただパソコンに強い、ITに長けている、だけでは一般雇用と変わりませんから、その人の“持ち味が必要”ということになるんですかね。

岩上 障がい者別に雇用率があるわけではないので、視覚障がい者の採用が多くなる期待も持てませんよね。パソコンやIT機器に強い人はいくらでもいますから、それプラス歩行能力、事務力、社会性が問われますね。問題は、それが客観的に評価されるかどうかです。特に視覚障がい者への理解は難航しそうだなあ。

 そもそも「見えない・見えにくい」ということがどういうことなのかを理解してもらえないんですからね。自分たちが闇の中で生活するイメージしか持てないうちは、話はなかなか進みません。就職に当たっての社内環境の整備など、合理的配慮も第一歩からということで、制度が熟すまで時間がかかる覚悟をしなければならないでしょうね。

M どのような障がい者に対しても“障がいを理解する”ということは難しく、「こうすれば大丈夫だろう」といった感じの配慮がなされてきているわけですから、外観の感覚だけでなく内面的な配慮が重要かと思うんですけど…。

 最近は発達障がいについて勉強する機会も多く、知れば知るほど千差万別を感じますし、こうすればいい、なんてことは全くないですから、現在障がい者を雇用している企業の方々の対応についての話も聞いてみたいですね。

岩上 確かに、いろんな人から現状を聴きたいものです。私が知る限りでも、せっかく障がい者が就職したのに短期間で辞めるケースが多いようです。それが仕事上の能力のせいか、同僚の人間関係か、職場との折り合いの問題なのか分かりませんが、そのへんの分析も必要だと思います。

 障がいを理解してもらうことも難しいですが、障がい者が地域、社会を熟知するのも難しいことです。言わば相互理解ができてはじめてノーマライゼーションとかインクルーシブな社会が築けるのでしょうが、難題が多くて息苦しいです。今回はちょっと堅い対談になってしまいましたが、この辺にしましょうか。

※注 令和6年4月1日から「改正障害者差別解消法」が施行。事業者による障がい者への「合理的配慮の提供」が義務化されました。

いいなと思ったら応援しよう!