創価学会への寄付の話
財務の話
創価学会にも、会員から寄付できる制度がある。財務と広布基金だ(他にもあるがここでは割愛)。
財務は毎年年末行われる、1口1万円からの寄付だ。学会組織では、財務をする会員(財務部員)を1人でも増やすことを目標にしている。
一方で無理な財務は止めるよう指示も出ている。
広布基金は主要会館などで随時受け付けている寄付だ(多分。間違いあったら指摘お願いします)。こちらは1口1,000円から。
広布基金については、組織内で耳にする機会はそんなにない(学生時代、学会総本部に着任した際初めて存在を知った)。
財務についてしっかり説明を受けたのは社会人になってから。財務の意義はいろいろあるが、もう半年以上も前のことなので忘れちゃったてへぺろ
財務に対して様々な意義を見出す学会員はそれなりにいる。
財務することで、宿命転換をしようとする人も少なくない。ウチの両親がそうだった。
私が生まれたとき、両親は貧乏だったそうだ。そこで、経済革命をかけて3桁財務(100万単位の財務)をしたそうだ。
その後、待遇がいい会社に転職できた。しかもその会社が急成長し、今では業界トップの大企業となった。父親は、その会社がまだ小さい時期に入社したため、現在は支所の課長クラスを務めている。
その会社に自分が入社して課長クラスになろうと思ったら、めちゃくちゃ頑張ってもなれないだろう。
そのお陰で、高校は下宿までして好きな高校に通い野球もできたし、大学にも行けた。
私の父親は、財務によって宿命転換ができたと話している。(ちなみに生活保護世帯は財務をすることができない。そりゃそうだ)
このように、宿命転換をかけて3桁財務をする人はそれなりにいるだろう。大学同期のある友人は、社会人1年目に3桁財務をした。
理由を聞くと「社会人1年目じゃないと3桁財務は無理だから」とのことだった。
そんな理由で3桁財務できるって、いろんな意味で凄いなあと感じた。それほど、3桁財務に意味を見出す会員が少なくないということだろう。学生時代には「6桁財務が人生の目標だ」という友人もいた。
実際自分も、毎年2桁財務を目指している。
変に3万とかするよりは毎年10万で2桁してる方が、安定してるしいいかなあって。そんな感じだ。
コロナ禍ではめっきり通ってないが、会館の維持整備に使って欲しいという思いから財務をしている。
広布基金10万円したときは、池田先生より写真集や揮毫、お菓子などの激励品をいただけた。当時は宿命に困り果てていたので、とても勇気が出た。そのお陰からか、困難な状況から抜け出ることができた。
ここで強調しておきたいのが、寄付をしたから宿命が変わった訳ではなく、決意して背水の陣を引いたからこそ人生が変わったということだ。寄付するということは、決意をお金に変えるということ。
寄付すれば人生が変わるなんて、そんなうまい話、あるわけない。
私の観測範囲にはいないが、世間を賑わせている統一教会の献金問題みたいに、家庭破綻したところもあるのではないか。
そうならないように学会組織や幹部は心を砕くのが使命。だが、それができてないところもあるのではないか。また、過去にはそういうこともあったのではないか。
宗教団体への寄付について
現在、宗教団体への寄付に上限を設けるべき!という議論があがっていることを認知している。
だが、それは難しいのではないかと思う。
なぜなら、宗教団体のみに絞って寄付の上限を設けることは、不平等に繋がるからだ。
例えば、今年私は2回寄付をしている。
ひとつは日本財団を通してトンガに。
もうひとつはUNCHRを通してウクライナに。
寄付の上限を設けるなら、等しく全ての団体に、寄付の上限を設ける必要を検討しなければならないだろう。
母校のために、地元のために、潰れかかってる企業や財団のために。
そうしたところへの寄付に上限が決められてしまうと、様々問題が起きてしまうのではないか。それらの団体等に何千万、何億と寄付してる人はそう少なくはないだろう。
そうした寄付に支えられている団体等まで巻き添えを食らってしまう。
もちろん、今回の問題を受けて、何らかの措置を講ずる必要はあるだろう。しかしそれは、寄付額の上限を設ける方向では難しいのではないか。
創価学会の内側から、この問題を注視しつつ、時にかなった話題を提供していきたい。