ありのままを受け入れすぎている?
最近、「◯◯(自分)はいつも意見を言わないよね」と言われた。
たしかに私はあんまり言わない。言う時もあるが、ほとんど意見が出てこない。
友人曰く、「絶対引かれると思った」という趣味を唯一受け止めているのは私だけらしい。
兄曰く、「ゲームの不満を一切喋らないよね。理不尽でやられたり肝心なところでバグが起きて今までの苦労が全部台無しになったりしてるのに」と。
妹曰く、「◯◯から人の悪口を聞いたことがないな〜」だったり。
世の中の1部の人はどうやら、悪い所が目につくらしい。
私はあんまりそういう事を考えたことは無い。目の前の人を疑う事すら考えないし、ゲームだって不満点を見つける方が難しい。
たまにそう言われると、「そうなんだ…言われてみればそうかもしれないな…」と考えてしまい落ち込んだりする。
見方を変えれば楽観的なのかもしれない。でも私自身、HSPの気質があってストレスを受けやすく、家族や友人の「なんで気づかないんだ」という指摘を受けすぎて少し病んでいる。
どうすれば気づけるのだろうか。試しに自分のプレイしてきたゲームの不満点をあげようと思った。
死にゲーが好きで、他にも作業系、RPG系…幅広いジャンルをプレイしている。
特にドラクエが好きなのだが、全作品最高だと思っている。
そういった感想を話したりするのだが、「仕様が面白くないよね」とか「レベルがすぐ上がりすぎ」だとか「敵のバランスがおかしい」だとか。
いい感想も悪い感想も相手は言ってくる。正直、そういうもんだなと思ってプレイしていた。いや、思ってすらいない。ただ目の前のゲームに没頭して楽しんでいるだけだ。
また、会社内の会議でもそうだ。
全部の意見がすごく良くて、区別がつけられない。なのに周りはその意見の穴を見つけて指摘するのだ。
私にはわからない。
ご飯にしてもそうだ。私の中では、「おいしい」「すごくおいしい」「クセがあって美味しい」「サッパリしてて美味しい」「至福…」くらいしか出てこない。周りが「おいしくない」と言っているものすらおいしくないと思わない。
そういう味なんだなと思う。
映画の善し悪しも、人の善し悪しも。私にはわからない。
全部が煌めいて見えてしまう。
悪いところは言われて始めて気づく。
そして傷つく。
もしかしたら傷つかないようにこういう性格で生まれたのかもしれない。
ありのままを受け入れすぎている、という事はいい事なのだろうか?
ネガティブにならないという点では最高だけど。
諦めているわけでもなく、懐が深い訳でもない。
一時「自分は全部どうでもいいんだ。何が起きても何が起こっても、関心が薄いだけなのかな」と思う時があった。真剣じゃないから、上辺だけのいい所しか見えてないと。
しかしそんなことは無い。こだわるところにはこだわるし。こだわっていても正直「こうなるんだ」と違和感も気づけず進めていくけど。
よくわからない。
これを「悪い」と定義したいのに心の中で「そういう自分でもいいよね」と思っている。
自己受容が出来てるなら、それでいいか。