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考えてもいいんだよ(1466文字)
小さい頃から「なんでだろう」と考え込むことが多かった。人の言葉に納得が行かないと、言語化できるまでずっと考えていた。やっと答えらしき言葉を見つけて、ウキウキして友達に話すと、「すごい考えているんだね」と困った顔で言われた。
よく覚えているのは、私が小学校二年生の時、校長先生が全校集会でヤマアラシのジレンマの話をしてくれた事だ。針があってくっつくことができないヤマアラシの話から、校長先生がどのような教訓を話してくれたかは覚えていない。
ただ、私は強く疑問を持った。
「ヤマアラシだって交尾をするはずなので、オスとメスは近づけるのではないか?」
ダーウィンが来た!のような動物番組が好きだった私は、ヤマアラシも必ず交尾をしているという確信があった。
その日の帰り道、下校に同伴していた男の先生に、そのままの言葉を伝えた。夕日が雑草をオレンジに照らしていて、ハルジオンが咲いていた。場所も情景も全てはっきりと記憶しているのは、当時の自分にとってはそれほどに強烈な体験だったのだと思う。
なんて答えてくれたかは覚えていないが、あまり納得いく返事をもらえなかった事だけは記憶している。恥ずかしげも無く「交尾」と繰り返し伝える私は、先生からはあまり良く映らなかったのかもしれない。
教えてもらった事に対して、質問を考えるのも大好きだった。「いい質問ですね」と言われて1番嬉しかったのは、小学校一年生の時に、消防士の方々が心肺蘇生法を図書室で教えてくれた時だ。
「質問ある人!」と消防士のお兄さんが言った瞬間、私は勢いよく手を挙げた。
「人間は酸素を吸って、二酸化炭素を吐きますが、人工呼吸の時に吐き出した空気を送って、酸素は足りるのですか?」
消防士のお兄さんは質問を褒めてくれてから、人間が肺から吐き出す空気中の酸素の割合を、数字で具体的に教えてくれた。
その後には誰も手を挙げず、質問は出なかった気がする。
質問を考えるのはすごく楽しかったし、質問を褒められると嬉しかった。知らない事をさらに深掘りできるし、予想外な答えが返ってくるのも楽しかった。
大きくなるにつれて、そんな私を周りが好意的に受け取ってくれていない事を、少しずつ理解した。伸び伸びと伝えようとすると、目立ちたがり屋と思われることが多かった。まだ拙い言葉でしか伝えられないこともあり、気が強くて自己中心的と言われたこともあった。実際に気が強かったのかもしれないが、私の中では、ただ素直な気持ちを伝えているつもりだった。
だんだんと、母親にしかモヤモヤした疑問をぶつける相手がいなくなった。母親は私の話を深掘りしてくれるのがとても上手で、時間がかかってしまうのに言語化することをいつも一緒に楽しんでくれた。
母親は『生物の棲み分け』という話を何度もしてくれた。
「川の上流中流下流それぞれに、そこでしか住めない魚がいる。」
母親の苦労が垣間見える言葉だと、今なら少し分かる。棲み分けがうまくできずにどこでも泳ごうと踠く私に、いつも優しく付き合ってくれた。
今、私は、やっと言葉を伝える場所を手に入れられた開放感を味わっている。
そして、言葉を選んで伝える大切さも、この年齢だからこそ分かった部分がある。
私の頭の中には、小さい頃から考え続けたことがたくさん貯まっている。少し外を散歩しただけで、書きたい事がさらにまた増える。
私はこれからずっと、書きたいことが無くなるまで書き続けたい。考えた事を、より相手に伝えられるよう努力を重ねたい。
やっと見つけた場所と、自分の素直な気持ちを、ずっとずっと大切にしていきたい。
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