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ありえない高待遇の職場を逃げるように辞めてしまったデザイナーの話


こんにちは。デザイナーの市角です。デザインしたり映像作ったりしながら、大学で准教授としてデザイン思考について教えてみたり、デザインの考え方とやり方を学生さんや企業、東京都などの自治体さんに伝えたり一緒になって考えています。


今回はこちらの記事の続編になります!!


【前回までのあらすじ】
まだ20代で貧乏だったころ、風呂なしアパートでコインシャワーを浴び
たまの贅沢に銭湯にはいっていた市角(筆者)。スーパーマーケットの裏に行き、いらないキャベツの皮なんかをもらってきて、それを炒めものにしたりしてなんとか暮らしていた頃。SNS上でとある会社経営者から「市角さんのデザインを気に入ったのでぜひ我社にジョインしてほしい」と誘われ麻布十番の一等地にあるビルのオフィスで一人デザイナーとして働き始めた!

一緒に働いている人たちは素晴らしい人達だし、
エンジニアの同僚も出来て毎日がるんるん!
当時の自分からしたら、ありがたすぎる報酬をいただいて楽しく過ごしていたがなんと、10ヶ月ほどで退社することになります。
一体何があったのか。私は、何かやらかしたのか?

一般的な「デザイナー」としてはなんの不満もない日々



駆け出しの貧乏なデザイナーにとっては高待遇すぎる報酬を毎月いただきつつ、しかも正社員じゃないのでフリーとしての活動も続けてもいいという身分でした。

手掛ける案件も大きく、「〇〇自○隊公式サイト」だとか「CM制作会社〇〇のWEBサイト」だとか、ゼロからデザインという現場。本当に色々携わらせていただきました。感謝しかない。

あと個人的に大事なことですが、麻布十番はランチが美味しくて特に蕎麦屋さんが最高だったなー。同僚と食べに行って楽しかった。


恵まれてる状況が心底嫌になった



しかしその一方で漠然とした恐怖がありました。
社長が持ってきてくれる大きな案件、すでに仕様がほぼ決まった状態からのスタート。受注が決まってますから、作るものが決まってます。当然です。

でも生意気な20代の若造のワタクシはこう考えてしまってました。

「そもそも依頼がこれ、間違ってないかな?」
「ファンを増やすなら作るべきものは〇〇じゃなくない?」
「〇〇にお金をかけるより、予算はこっちに使ったほうがクライアントは喜ばないか?」

他の記事でも言及してますが、デザインの依頼のほとんどはピントがずれているんです。日々多くの案件をこなしていくうちに、

「依頼段階から間違ってることがこんなにも多いんだ!!!」

と衝撃を受けたのを覚えています。
そしてワタクシの立場ではもう決まってしまった依頼を覆すことなんてできるわけありません。若造だしね。

でも曲がってしまった案件をデザインの力でなんとか良き方向に
せっかく予算を使ってくれるお客さんが喜ぶモノにしてみようと
毎日もがき苦しんでいたのを覚えています。

ずっと罪悪感に苛まれていました。
「これ作っても顧客が幸せにならないならやらないほうが良くないか?」と。

生意気ですよね。

生意気さが災いしとうとう社長とうまくいかない日々が始まります。今思えば本当に青かった。いろーんなやり口が今なら思いつくんですけど当時はただただ不機嫌なだけでした。笑 
ぶつかろうにもぶつかり方さえも知らない頃。

そして何より自分の中にかつてはあった、
「お客さんのビジネスの悩みを一緒になって考える力」
みたいなものが衰えていくのを日々、感じました。

四の五の言わず、イケてるデザインをちゃんと作ればいいじゃん!生意気なことは、もっと偉くなってから言うべきだよ!

自分の中にもそういう考え方が出てきてもいました。そんな自分が怖かったです。

恵まれてる状況が、自分にとっては生きるチカラを奪っていく恐ろしい魔物に見えたんですね。

じゃあ成長してディレクターになればいいじゃん


多分、そういう風に思う方も多いと思います。

でも違うんです。前回にも書きましたけど僕にとってデザイナーの仕事というのは顧客の問題解決に寄り添い、最終的に目に見えるアウトプットにすること。自分の手でなければ意味がない。

「そんなお前のワガママに付き合ってくれるような会社はないよ。」
そのとおりです!

社会に自分の思うデザインをする場がないなら
苦労して自分から作るしかないんだ!と痛感しました。

まさに会社に所属してはたらいた10ヶ月で、自分がどんなデザインをするべきなのか、よく学べたわけです。その後の人生を決定づけた出来事でした。

何度か口下手なりに社長とコミュニケーションをして、円満とはいかないが正社員ではなかったのでお暇をいただくということで双方合意しました。

これもねえ、今思うといろんなやり方があったと思います。無知だったなあ。笑 本当恥ずかしいですね。

社長は素敵な人だったなあと今すごく思います。

再び風呂なしアパートの極貧生活に戻るが、幸せな日々



当然ですが再び、高円寺の風呂なしアパートに戻り極貧生活に戻ることになりました。

でも、当時むしろ晴れ晴れした気持ちだったのを覚えています。もうキラキラした生活を羨ましいと思わなくなり、自分のやりたいことをやり抜くんだと決心できたから。

もちろんお客さんも自分で見つけないといけないし、細々としたことも全部やらないといけません。それでも。

直接依頼者と人間同士の関係を築いていき、仕事のことだけじゃなくて人生のことも話し合えるような仲間になっていく喜びは何事にも代えがたいものでした。

今思えばデザインそのもの、というよりデザインを通して人とつながるのが好きなんでしょうね。自分は。

その後右往左往するうち、ようやく30代になって一つのカタチが見えてきて今に至ります。

そうやって氷山の一角じゃない。水面下のデザインを日々意識でき、またそこで学んだことを大学や企業、自治体向けに講師としてお伝えできています。


人生に悩む若き人に言えること


大学で若い学生に人生相談をよく受けます。

その時に自分のケースはちょっと万人におすすめできる生き方じゃないなあと自覚はしています笑 

ただどうしても自分の思う仕事を作っていきたいと思うなら、この日本で食べれなくて餓死するということはまだまだないですし、自分の中の恐怖と向き合い、

最悪の状況でどうなってしまうのか?
その生活を自分は許容できるのか?
何が自分にとって一番幸せなことなのか?

を突き詰めるのは良いことかもしれません。

自分の心の声というのは何もしてないときは聞こえてきませんが、こんな風に「なんか違うんだよなあ」という違和感のある環境にいる時に見えてくるものだと思います。

だから本当にあの頃関わってくださった皆さんには感謝しかありません。


そんなかんじで毎週木曜日は、#デザイナーの頭の中  シリーズ書いてます!(最近金曜日になっちゃうことが多いけどもw)
デザインについてのお話、他にもありますので興味があったら。


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