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34歳無職の人生...ふりかえると失敗の連続...話します!!!

こんにちは、本日は私、わがままニートの半生を振り返りたいと思います。面白いと思った方、一緒に何かをやりたいと思ってくれた方はハートをお願い致します。ぜひ!最後まで読んでいただけますと幸いです。以下のテーマに沿ってお話をいたします。

◇ 小学校編 まわりの友達と馴染めなくて...
◇ 中学校編 思春期と反抗期の毎日
◇ 高校編停学3回、留年1回 無期停学1回 そして退学

◇ 小学校編 まわりの友達と馴染めなくて...

私はもともとクラスに1人はいる「ちょっと変わった子」でした。ざっくり申し上げますと、周りの友達と比べ全然勉強も出来ず小学校4年生まで靴ひもを結べない、自転車は乗れない友達との遊び方がわからない、遊んだとしても途中で友達に帰られる…そんな日々なので当然友達も小学校の4年生ぐらいまで出来ず、学校の帰りには毎日近所の児童センターに行きあてもなく時間をつぶすか近所の公園でひとり遊びをする今思いだすだけで心が少し痛い小学校生活でした…そんな中、友達と呼べる同級生が2人出来ましたが低学年の時は一緒に遊んでくれましたが学年が上がるにつれ距離をおかれ、またしてもひとりぼっちになりました。本来なら兄と遊ぶ事が多くてもおかしくない年ごろですが年齢が7歳もはなれている為そのような事は無かったです。なので小学校生活での思い出は?などと聞かれると何も無いので非常に困ります...。

◇ 中学校編 思春期と反抗期の毎日

小学校生活も終えついに中学生になりますが中学1年の時は相変わらず友達が出来ず少し友達が出来てもいじめられたり仲間はずれをされたりと小学校生活となんら変わりの無い日々をおくりすこし変わったのは児童センターから近所のゲームセンターに毎日通うようになった事だけです。中学2年生の時に反抗期?がついに私にもきて親の財布から毎日お金をもらい毎日ゲームセンターと近くのCDショップHMVに通い詰めていました、この頃になるとようやく親友とよべるほどの友達が2人出来て毎日3人でそのと友達の家に集まり木更津キャッツアイをみたりすきな音楽を教えあったりしてすごく楽しかったことを今でも覚えています。時も過ぎ中学3年生になります、中学3年生と言えば高校受験の勉強がはじまり親友2人もいままでのようには遊んでくれなくなりました。さらに追い打ちがかけらるかのようにある通達が全校生徒に入りました「3年1組の○○君とは遊ばないよう」理由は簡単です。私はそのころ日々、ゲームセンターに行ったり近所のスーパーで悪さをしたりしていたからです。こうなると負の連鎖が私を襲ってきます。友達がいない⇒家に帰ってもつまらない⇒さみしい⇒反抗期

居場所が無いのがほんとに辛かったそんな中学生活でした。

◇ 高校編停学3回、留年1回 無期停学1回 そして退学

小、中 勉強を今までしてこなかった結果、市内に私が受験できる高校が無く夜間の定時制高校に通う事になります。この夜間の定時制高校で私は小、中では見た時も無い光景を目にする事になります。それは入学式の時でした...私の通っていた高校は制服もなければ頭髪も自由でしたので私自身金髪にして調子をこいていました。ヤンキーが多いとは聞いていたけれどたいした事無いだろ...そんな思いは一瞬で吹き飛びました。続々と校門から入ってくるド派手なバイク爆音でアクセルをふかす人々...入学式の最中にあばれて退場させられる人...

この学校で無事に4年間生きて卒業出来る気がしない

ここからは後編に書きます!!

ここまで読んでくださり誠にありがとうございます。。

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