私の自由意志による活動が20文字で再現されてしまうなんて・・・
今から40年近く前の話になりますが、初代ファミコンのRPGゲーム、ドラゴンクエストでプレーしているプレーヤーは「自由意志に基づき自ら選択してプレイしている。」と考えていると思います。
プレイを終わりにして保存する場合は
ブラウン管の画面に映し出された文字列(呪文)を手書きで転記して次の週末にゲームを再開するために入力するがよく間違えてしまってがっかりした思い出が懐かしいです。
実際にドラクエでプレーしていた内容を「復活の呪文」という20文字のひらななの文字列で記録しておけば、私がそれまでにプレーした「自由意志で行った(つもりの)活動」の詳細が20文字の入力で忠実に再現されていることを振り返ってみると改めてよく出来ているなと感心してしまいます。
ここまでのエピソードは
ドラクエのプログラマーはゲーム世界はすべて「決定されているシナリオ(プログラム手順)に従って実行されているだけ」という事実を私達プレーヤーは意識せずに自由にプレイしたと思えるところが興味深い点と言えます。
上記の事例をドラクエの世界を現実世界としてみた場合で考えてみると、「この現実世界」が実は「神(自然)」がプログラムされたものであり私達人間はそのプレーヤーでその行動や行為は決定されているという比喩には一定の説得力があると思ってしまいます。
唯一リアル世界の良い点は「復活の呪文」を間違えてもやり直しが効く点であることは救いと言えます。
追加
神の呪文?
GPTの登場により全ての文字列の組み合わせをAI上で内部表現を行ったとする。理論上は無限に生成できる文字列の組み合わせが最終的に神の呪文又は究極的な真理探求の解説文が生成され得ることになる。この時、ラピュタの「バルス」の呪文を唱えたように世界は変わるのだろうか?
また、外部に表現する必要はあるのだろうか?
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