rumera-ルメラ-第3話 夜の印刷室編
「ああっ、もうっ! 今日は推しのアイドルのドラマがあるのに! 残業なんて!」
マウスを握っていた手を離し、掛け時計を気にする。もうすぐで21時だ。22時までに帰宅できるか? もちろん、録画予約もしているが、やはり、リアルタイムで観たい!
「よしっ! 気合いを入れて頑張るぞ!!」
再び、マウスを握りしめ、パソコンと睨めっこしようとしていたその時。
カチカチカチカチカチカチ・・・・・
廊下から奇妙な音が聞こえる。
なんだ?
別の部署で誰か残業でもしているのか?
そんな事より、集中、集中。
カチカチカチカチカチカチ・・・・・
カチカチカチカチカチカチ・・・・・
なんだ、この耳障りな音。自分のタイピングの音に被さって、主張してくる感じ。まるで、意志を持っているかのような音。なんだか、気持ち悪いな。
とりあえず、早く終わらせてしまおう!
しばらくすると、さっきの気味悪い音は鳴り止み、その代わりにザーッ、ザーッ、と音が聞こえてくる。聞き覚えがある音だ。コピー用紙がプリンターから出てくる映像が、頭の中に浮かぶ。これは、プリンターの起動音だ。
なんだ。誰かが書類を作って、印刷をしているんだな。はぁ、良かった・・・・・幽霊とかじゃなくて。
「よしっ! 終わったぞ! さぁ、急いで帰ろう!」
僕は荷物をまとめ、部屋を出た。廊下を歩いていくと、ある部屋の中から、ザーッ、ザーッ、と音が聞こえた。薄暗い部屋の中、黒い人影がプリンターの前に立っている。
なぜか、背筋がゾッと寒くなる。
僕は見つからないように、忍び足で通り過ぎると、会社を出て家路を急いだのだった。
※
「最近、課長の様子がおかしいよな」
「そうか?」
後ろの席の同期が話しかけてきた時。「すまん、遅くなった。おはよう」と力ない声が、入り口から聞こえてきた。
課長だった。珍しく目の下にクマができた課長は、いつもよりやつれているように見える。そして、小脇に何かを大事そうに抱えながら、自分の席に向かった。
真っ黒な小さなノート型パソコンのような。普通のノート型より、はるかに小さくてコンパクトに見える。課長はそれをデスクの上に置くと、ニヤリと笑いながら、パカッと蓋を開けた。
「なぁ、あの小さなパソコンみたいなもの、何か分かるか?」
同期は僕に近づくと、小さな声で囁くように喋りだす。
「お前、ルメラ、知らないのか?」
「ルメラ?」
「今、SNSでも大人気で、手に入らないんだぞ。文字を打つだけのデジタルメモなんだけど」
「へぇー、何でそれが人気なんだ?」
「なんかさ、ルメラで文字を打つと、それが現実で起こるらしいんだ。あと、届いた人に、必ず死が訪れるとか」
「嘘だろ・・・・・あんなおもちゃみたいなパソコンで?」
「まぁ、噂だけが拡散してる感じだけどな」
「ルメラか・・・・・」
ルメラと向かい合って、ニタニタ気味悪く笑っている課長。確かに、最近遅刻が多いし、仕事中もなんか上の空の時が多い。頬も痩せこけ、大きな目は、より出ているように見える。
課長はルメラをパタン、と閉じると、引き出しから写真立てを取りだす。それを胸の真ん中で抱きしめながら、涙を流している。
課長は五年前に、奥さんと娘さんを交通事故で亡くしている。愛妻家だった課長。当時、五歳だった娘さんを溺愛していた。僕にもよく、『可愛いだろう?』と写メを見せてきてくれた。亡くなってから、しばらく会社に来れないぐらい落ち込んでいたが、最近はいつもの課長に戻ってきて安心していたけれど。
やっぱり、まだ忘れられないのだろう。哀しい気持ちのまま、僕はパソコンと向き合い、仕事を始めたのだった。
※
「くそっ、今日も残業なんて、本当についてないな!」
天井に向かって、グーッと腕を伸ばす。
眠い。そりゃあ、眠いはず。昨夜、推しのアイドルのドラマを、リピートして見過ぎてしまったんだった。
「よしっ、眠気覚ましにコーヒーでも買ってこようか」
財布を小脇にかかえ、部屋を出ると・・・・・
カチカチカチカチカチカチ・・・・・
あの音が、廊下に反響していた。
あれ、昨日のタイピングの音?
カチカチカチカチカチカチ・・・・・
カチカチカチカチカチカチ・・・・・
カチカチカチカチカチカチ・・・・・
背後から迫るように、打ち寄せてくる音。
どこから聞こえる?
後ろ? 違う。もう少し先の印刷室からだ。
昨日の夜、誰かがプリンターを使っていた印刷室から聞こえてくるようだ。
この音の正体はなんだ?
連日、誰かが残業をしてるのか?
僕は財布をギュッと抱きしめながら、印刷室の中を覗きこんだ。
プリンターの向かいにある机には、あの『ルメラ』が、蓋を開けた状態で置いてある。そして、それを打っているのは・・・・・課長だった。
よりクマが酷くなった課長の顔は、とても楽しそう。気が狂ったようにキーボードを強く打つと、ピロロン♪ と音が鳴った。
すると、ザーッとプリンターから音がした。急いで、プリンターに駆け寄った課長は、印刷されたプリントを持って机に戻った。気になった僕は、少し開いた扉からコソッと入り込み、段ボールに隠れながら様子をうかがった。
課長はまたルメラを打つ。するとピロロン♪ の音がして、プリンターから何かが出てくる。なるほど、ルメラからプリンターにデータが送れて、印刷ができるんだな。別に普通のパソコンと変わりはないじゃないか。
課長は鼻歌をうたいながら、ハサミでプリントを切っていく。何を切っている? 何やら人型に切っているようだ。ハラハラと机に落ちていく紙切れ。切り取った人型を愛しそうに眺める課長。それを鼻に当て、匂いを嗅いでいるではないか。
「あぁ、ほのかの匂いだ・・・・・幸せだ」
ほのか? ほのかって、確か亡くなった娘さんの名前のはず。娘さんの匂いがする?
「さぁ、今日もお父さんと遊ぼうか」
『うん、パパ!』
喋りだした紙人形は、机の上に立った。それは、娘さんの写真が印刷された人形だった。それはヒラヒラと揺れ動くと、課長の手のひらの上に乗って踊りだす。
「ほのか、可愛いよ。大好きだよ」
『パパ、ほのかね、こんなに上手に踊れるんだよ! 見て、見て!』
手のひらで踊る紙人形。バレリーナみたいにくるくる回ったり、課長の腕の上を登ったりもしている。
シュッ、シュッ、シュッ!
その度に紙の切れ端が、課長の皮膚を切り裂いていく。浅い切り傷が刻まれていく。課長の皮膚は赤く滲み、血がダラダラと噴き出している。
課長はそんな事より、紙人形との時間を楽しむように微笑んでいる。その顔はもう、ドクロみたいに骨が浮き出ていて、生気を感じさせない。
「あぁ、そうだ。次は恵美子を作らなくちゃ」
プリンターから出てきたプリントをまた、ハサミで切っていく課長。切り取った紙人形は、課長の奥さんのようだ。皮膚まで血塗れの課長は、その紙人形にキスをした。そして、鼻いっぱい匂いを吸い込んだ。
「恵美子、愛している、愛している・・・・・」
紙人形はゆるりと机に立つ。ゆらゆら揺れながら、課長の肩に登ると、頬に寄り添った。紙人形の細い手が、頬に突き刺さる。そこから垂れながれる血液が、真っ白なカッターシャツを真っ赤かに汚していく。
課長は痛くないのか?
このままだと、傷だらけになってしまうけど、大丈夫か?
そんな心配をしながらも、哀しい気持ちも打ち寄せて、目頭が熱くなる。課長は毎夜、ルメラを使って、亡くなった二人の写真をプリントし、二人の紙人形と戯れていたんだ。課長はそれで、寂しさを満たしていたんだな。
でも、痩せこけて、紙人形に生気を吸い取られているように見える。『ルメラが届いた人に必ず死が訪れる』って、同期が言っていたし。このままだと課長が・・・・・。
「か、課長・・・・・」
僕は段ボールから顔を出し、課長を呼ぼうとしたが、その瞬間。
カチカチカチカチカチカチ・・・・・
【お前は紙人形になりたいんだろ?】
突如、ルメラから声が聞こえてくる。
【一人ぼっちで寂しいんだろ?】
「あぁ、私はずっと寂しかった・・・・・二人と一緒にいたい。ずっと、永遠に、一緒にいたい」
カチカチカチカチカチカチ・・・・・
【その望み、叶えてやろう!】
ルメラの画面がピカーッ! と眩く光ると、プリンターの上部が、ガバーッと開閉する。
課長は血だらけのまま、操り人形のように動きだし、プリンターの前まで行くと、スキャナー部分に頭を入れ込んだ。
バンッ!!
メキッ、ゴキッ!!
「うががぁあーーーっ!!!」
プリンターの上部が、勢いよく課長の頭部を挟んで潰した。すると、ザーッと、課長の写真がプリントアウトされる。
もう一度開いたプリンターは、また、課長の頭部を潰す。
バンッ!!
メキッ、ゴキッ!!
「ぎゃあぁぁぁーーっ!!!」
ザーッ
何度も、何度も、頭部は潰される。
しばらくすると、課長は身体はダラリと力を失くし、動かなくなってしまった。耳の穴などからあふれ出した血は、プリンターを這うように床に垂れていく。まるで、真っ赤なインクのように流れる。
課長が死んでしまった・・・・・。
「うわぁぁぁ!!」
僕は印刷室を飛び出し、会社の出入り口に向かって、廊下を走った。脈拍が上がり、全身からは汗が噴き出している。
背後から聞こえる不気味な音と、楽しそうな声。
カチカチカチカチカチカチ・・・・・
カチカチカチカチカチカチ・・・・・
カチカチカチカチカチカチ・・・・・
【わはははっ! 楽しい! さぁ、次は誰の所に行こうかな。待ちきれないなぁ♪】
(第3話・完)