自分なりの追悼文

アウシュビッツに行った人(日本人)が
「ここで亡くなった人を思うと、とてもつらい」と
言っているのを見ました

それはそうだろう
どこの国のどの民族であっても
人権を奪われるような形で強制的に拘束されたり、
為す術もなく死を選ばされたりしたとしたら
それはとてもつらく、悲しい記憶だと思う


ただ、

それはそうだろうと思うのだけれども、
私は、それをいうなら
いつも思うことがある


原爆が投下されて、その真下にいた人たちは
全身火傷を負って、川に飛び込んでいった、

どんなに痛く、苦しかったことだろうと思うと
私はいつも、そのことがやりきれなく思うんです


以前の自分はあまりこういうことを考えなかった、
以前の自分というのは、
バブル時代の頃の自分ですかね、

みんながテレビを見てお笑い番組なんかで
笑っていた頃の、
ある意味で平和だった頃の話ですね

その頃は、
日本がどうとか、アメリカがどうとか、
そんなことを考えてなかったんです

正直、日本人であるという意識も
自分の中にそんなになかった
なんか、当たり前すぎて

でもあるときから、

「戦争のときに、太平洋に散っていった多くの英霊たちや、
広島や長崎で原爆を落とされて死んでいった多くの国民、
空襲におびえて身をちぢめていた関東の人々・・・
そういった多くの人の犠牲のうえに今の日本がある」

と強く感じるようになったんですね


この話は長くなっちゃうんですけどね、


あるとき、西田敏行さんが出ていた番組で、
視聴者の疑問とか、手紙に対して
番組が調査したりするという、
そういう番組があったんです

そのとき、視聴者から寄せられたお話というのは
こういうものでした

「自分が母のお腹にいたとき、
父は出征していた、
その後、亡くなった、
それは分かっているんだけれども、
自分が母のお腹にいたことを
父は生前知ることができたのか、
それとも、知らずに亡くなったのか、
それが知りたい」

というものだったんです

ものすごく難しい調査だなと思ったんですけど

番組は総力を上げてその疑問に応えたんですね


そして、やりとりしていた手紙が見つかって
いろんな調査の上に、
ついに、真実が分かった、

それは、

「(お腹にいたことを)知っていて、それについて手紙を出していた」

ということだったんです


そのことを知ったときに
その視聴者の方、質問をされた方は
もうかなり中年の方だったんですが、
それを知ったときにぶわっと泣いた、

それを見ていた番組のスタッフや
調査に協力した機関の人たちも
一緒に泣いた、

スタジオにいた人たちも泣いた、

みんなが泣いたんです


それを見ていた私も、思わずもらい泣きしました


自分がいたことを父が知っていたのかどうか、
ただそれだけが知りたいと思って
何十年も生きてこられた方が
やっとその答えを知った、

戦争がどうとかではなく
敗戦がどうとかではなく

自分がいたことを知ってほしかった、
その方の願いはただそれだけでした


戦争は数え切れないほどの悲劇を生み出します

たしか石原慎太郎さんだったと思うんですが
どの方かは、ちょっと失念したんですけど

東京で空襲があったとき

友達か兄弟と手をつないで走って逃げていたと

でも爆撃があって

握りしめていた手が軽くなった、
ハッとして振り返ったら
そこには手しかなかった、


そんな話をされていたのを聞いたことがあります


私たちが想像もできないような非日常があったんです
そしてそれは、残念ながら
今現在、世界各地で
同じような悲劇が生み出されてしまっているんです

ウクライナでもそうでしょう
パレスチナでもそうでしょう

私は左翼的というよりは
どちらかというと右翼的なんだと思いますが

それでも、戦争はもういい、と思うんです
なぜなら、
資本家とか、政治家とか、経済団体とか、
一部の人たちの思惑とか、利益のために
無関係の人たちが戦場に駆り出されているだけ
だからです
その人たちは、昔の英雄たちのように
けして、最前線に立つことはないのに


「国や国民を守るための戦争」ですらない
「彼らのメンツや利益を守るための戦争」でしかないんです

そんな戦争なら、
右翼的な私でも
「もうやめたら」ってなります


ギリシャ神話の「イーリアス」の冒頭に印象的なシーンがあるのですが

それは戦争に関する会議から始まるんです

その中で、アガメムノン(アガメムノーン)という大将が
ギリシャ軍を仕切っているのですが

その大将があまりにも無能なために
会議は紛糾しているんです

大将を批判する者たちと、
それに言い返す大将とで、


でも実際に戦場に立って戦うのはアキレウスという英雄です
この人は神の血を半分引いているので
非常に強いということになっていました
よく知られているように踵が弱点なのですが
それは、踵だけ、洗礼の水のようなものに
つけ忘れてしまったからなんですね

でもそのアキレウスが
戦場に立って、士気を鼓舞しながら
自分が傷だらけになりながら戦っているのに

テントの中にいて、命令を下すだけのアガメムノーンは
アキレウスの戦利品であるはずの乙女を
自分が欲しいと言い出す

しかしアキレウスはその乙女が好きだったので
自分のところから手放したくない

でもアガメムノーンはどうしてもその乙女を寄越せという
それでアキレウスから奪い取ってしまうんです

それに腹を立てたアキレウスは
「自分はもう戦場に出ない、あいつ(大将)が戦えばいい」と言って
陣に引きこもってしまうんです

しかしアキレウスがいない戦場は総崩れのようになります

それを見かねて、
アキレウスの親友のパトロクロスが
アキレウスのフリをして戦場に出るのですが
あえなく戦死してしまうんです
アキレウスはそれで泣くんです


本当に戦争を仕切っている人たちというのは
自分たちだけは安全なところに隠れていて、
けして、最前線には出ないんです

一滴の血も流さないんです

そんな人たちの思惑のために
なぜ英雄や国民が死ななくてはいけないのでしょうか?

私は子供の頃からそう思ってました
アガメムノーンのような、
強欲で無能な人たちのために
他の人たちが犠牲になるような世界は
おかしいのではないかと思っていました


長くなるのでいったん折り返します。

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