悪を許すと、悪につけこまれる話
毎回「許せないものを許しましょう」というような、
お坊さんのような方がオススメに出てくるのですが、
あまりにもしつこく出てくるので
一回も見たことないです。
私はお坊さんの動画は好きで、
お経からお説法まで、いろいろ見ていますが
お坊さんの好き嫌いというものはあるもので、
顔を見た瞬間に「なんかダメだな」と感じる、
好き嫌いというのはあるなあと思います。
波長が合うとか、合わないとかの話かもしれませんが。
それにかぎらず、最近
陰謀論界隈で「悪の権化」のように言われていた方々が
いると思うのですが(世界有数の資産家の人とか)
彼らが「許してほしい」と言っているという話を
なぜか、あちこちでちょこちょこ見るんですよね
まあ彼らも相当、後がないというか
もともと地獄行きみたいなことばかりしていたのですが
その地獄もなくなって、
いわば、イエローカードの警告がなく、
レッドカードで一発退場となる、
「魂が消滅するコース」になっているので
それで「許してくれ(消滅したくない)」と
言っているのかな、と私は思いましたけども
これに同情をして、悪を許すと何が起きるかというと、
悪というのは、本当に、
許される価値がない連中のことでして、
「許してもらったから、食っちゃえ!」
とばかりに、
「許された」瞬間、
ガバッとワニのように大口を開けて襲いかかってきます。
それが彼らからすると「許してもらった」ということなんですね。
「許してもらえたから、攻撃してよい」と考えているようです。
いや、それは、「許された」って言わないから・・・。
なので、善の側というか、光の側が、
「悪も、よく考えたらかわいそうだし、許してあげるか」
などと、情けを見せて日和ってしまったが最後、
恐ろしい勢いでそちらに取り込まてしまいます。
ブラックホールに吸い込まれる許可を自分が与えたようなものです。
私はこういうのを何回も何回も見てきたので
「世の中には、絶対に許されてはいけない悪がある」
と思うようになりました。
人間というのは、やはり「情、情け、慈悲の心」があるので
つい、同情をしたり、助けてあげようとしたりするものです。
そういう、優しい人がたくさんいる世界なんですね。
しかし、
「貧困に耐えかねて、パンをひとつ盗んでしまった」
というような人を、許してあげるのは良いのですが、
(それはむしろ社会の罪、社会構造のあやまちだったりする)
「サイコパスのような人間が、大量虐殺をした」
というような人を、許してあげたら、
その人はどうするでしょうか?
残念ながら、また同じことを繰り返す可能性が高いのです。
そうすると、またどこかで、別の誰かが殺されるわけです。
ひもじさのあまり、パンひとつ盗んでしまった人が
レ・ミゼラブルの映画のように
誰かに許してもらえたとしたら
まして、追加でパンをもうひとつ誰かがくれたりしたら
申し訳なさや、ありがたさで涙が流れたりするでしょう
けれど、サイコパスの大量殺人犯のようなやつらを許したとしたら
彼らは「申し訳なかった!!」と、
ものすごく泣いているような演技をしながら(※反省の涙は出ません)
「こいつらすぐ騙されて、ちょろいわ」と世の中をあざわらいながら
「もうこんなことは二度としません!」と頭を下げる演技をしながら
頭を下げた先で、あかんべーと舌を出しているというようなことになり、
次は製薬会社に入って毒物みたいな薬を作るとか
より、捕まりにくい方法を選んで、
「今度は絶対つかまらないぞ」と
さらに巧妙な方法で犯罪をしたりするようになるんですね。
こういう、どうしようもないやつらがいる。
彼らにしてみれば、
「どうやったら捕まらずに悪いことができるかゲーム」
をやっているような世界になってしまつているので、
警察や裁判所、法律などが機能不全になっていると、
その隙を突いて悪いことをしまくります。
さらに、彼らの上層部は、徒党を組んで
その警察を賄賂で買収して腐敗させたり、
裁判所の裁判官を、自分の手下を送り込んでやらせたり、
法律を書き換えて、抜け道を作って自分たちだけ得をしたりなど
ありとあらゆる犯罪をやりだします。
無実の人を冤罪におとしいれると同時に
自分たちだけはうまいこと逃げおおせているんですね。
近代、なぜこんな人たちが跳梁跋扈してしまったかというと
やはり霊的な感覚が薄れてくるにつれて
「本当に悪いやつと、そうでない人」の見分けが
だんだんつかなくなっていってしまった、
その中で、左翼的な思想も蔓延して
「悪い人も許してあげましょう! キリストもそう言ってた!」
などと言って
キリスト教をまったく信じてなくて教会にも行ってないのに
キリストがなんでもかんでも許してくれたというような話を
吹聴してまわって
「キリストのように人を許すのが人の道です」というような
ド正論みたいなことを言いながら
「うっ・・・。たしかに、それはそうだ」と
バカ正直にそれにひるんでしまった人たちを、
内心で「バーカバーカ」と小馬鹿にして嘲笑いながら
幼児虐待や性的暴行、強盗殺人などを繰り返してきたんですね。
たしかにキリストは、とても高次元の人でしたから
高次元には犯罪者なんかほとんどいないんですよ、
なので、その癖で、ついね、
簡単に人を許してしまっていたと思います。
それは、天国から来たような人の癖なんですね。
悪い人がいるということを想定してないという。
しかし、地獄界のほうは
そんな天上界をあざ笑っているというか
そんな魑魅魍魎みたいな妖怪がワンサカいるんですね。
キリストのような高次元の人は
そこを想定してなかったというか、
自分が悪魔の誘惑にやられても、屈しないから
他の人も、誘惑に屈しないだろうというような
ちょっと楽観的に考えていたのかもしれません。
けれど、世の中というのは
キリストが当初想定したよりも、はるかに腐ってた、
それでキリストも途中からそれに気づいて、うんざりして
「私はいつまでこんな世にいなくてはならないのか」と
ため息をついていたんですね。
「早く天国に帰りてぇー」みたいになっちゃったんです。
そして、
「どんな人も許してあげましょう」と言っていたキリストは
どうなってしまったかというと
皆さんご存知のとおりの結末です。
私は、キリストはそれも想定済みだったとは思いますが
それでも、まわりの人に裏切られたときには
とても落ち込んだのではないかと思うんです。
人間というのは、どうしてもね、
みんながみんな、聖人君子のように高尚には生きられない、
私は低次元の霊的な世界も見てきたので
霊魂というものが、
上は天使のような魂から、
下は悪魔のような魂まで、
まさしくありとあらゆるレベルで離れているというのを
体感してきました。
それと同時に、
天使のように優しい人たちが、
悪魔のような意地悪な人たちから意地悪をされ、
それこそ、イヤミ、イジメ、パワハラ、
カツアゲ、強盗、最後は殺人まで、
ありとあらゆる非道なことをされているのを見てきました。
そこから目を背けて
「みんななかよくしましょう」とか
「争いをするのは低次元の人」とか
そんなことを言ってみたところで
現実に、幼児虐待から儀式殺人まで
ありとあらゆる悪事が行われているこの世界で
それを見なかったことにして
なかったことにして
「人を疑うのは悪いことです」とか
「悪人も許してあげましょう」とか
そういうことを言うのは違うような気がしてるんですよ
それが、他のスピリチュアル系の人たちと
自分が、根本的にそりが合わないところ、
自分は、二十年くらい前から
本を読んだり、ネットを見たりして
宗教のことも考えてきましたけども
その中で、やはり、
カルト宗教の二世の人たちが
家庭内で虐待されているという話なども
ちらほら、聞いていたんです
ここ十年くらいだと
彼らがネットに書き込みしたのもあって
そういう話をかなりの数、見てたんです
それで、この問題は
いくら自分がキリスト教が好きで、
キリスト教を擁護したいといっても
まあ彼らはカルトであってキリスト教ではないんですけど
かりにもキリスト教を名乗りながら信徒を集めているような
そんな組織が、
そんなことをしているという矛盾について
これを看過することはできないと思った
それで、そういう話があるということと
なぜそれが起きるのかということも
ブログで書いたりしてきたんですが
本当に近年ですね、ここ数年、
このカルトの二世の問題がクローズアップされて
きっかけは政治的な事件だったかもしれませんが
二世の人たちが苦しんでいるというのが
広く世間に知られるようになってきました
こういうのもね、なぜ起きるかというと
カルトが信仰しているのはキリストではないので
知らず知らずのうちに悪魔崇拝になってたりする
自分が何を信仰しているか
多くの人は知らないんです
「キリストですよ」と言われたら
「あ、そうですか」となる
でも、「キリスト」という看板をつかいながら
バアル崇拝とかイシュタル崇拝をしているような
そんな組織はゴマンとあるのが現実なんですね
(彼らはキリストを「客寄せパンダ」扱いしていて、
それだけならまだ「キリストをバカにしているだけ」となりますが、
キリストの名前に惹かれてやってくる人たちを
地獄のような世界に引きずり込めるわけですので
効率よく、神を信じる人を捕獲して傷つけることができるわけです)
なので、これは
どんな神を信仰しているかというのは
信徒を見れば分かると言いますけども
エネルギーで見分けるしかないんです
「ウチはキリスト教系です」と言いながら
教祖が「お布施が百万です」とか言い出したら
それはちょっと違うんじゃないかと思わないと
いけないわけです
キリストはそんなお布施を要求したのかと
金持ちは天国に入れないといった
聖書の言葉をどう解釈するのかと
ちゃんときかないといけないです
こういうのも、何も知らずに多くの人が騙されて
多くの人が、カルトに走ってしまった
こういうのも、ちゃんと考えないといけない、
キリストが「罪人を許しなさい」と言ったのは
そういう意味で言ったのではないような気がするんです、
彼が言ったのは、
本当の悪人を許せ、見逃せと言ったのではなくて、
それこそ、貧しさのあまりパンを盗んでしまったような
そんな人たちのことを言ったのではないかと思うんです
「悪いのは貧困であって、その人ではない」とか
そういうことを言われたのではないかと思います
それを、拡大解釈して
なんでもかんでも許してあげましょうというのは
キリストは思ってなかったんじゃないかと
だからこそ、キリストは
神殿でお金もうけをしている人たちを見たときに
「神の家で商売をするな!」と激怒をしたんです
本当になんでも許してくれるのであれば
それだって許してくれたはずじゃないですか、
しかしキリストはそういうことは許さなかった、
キリストは、
許すべき罪、許されるべき人と、
許されるべきでない罪をハッキリ分けていたような気がするんです
それが、こんにちでは
左翼の言い訳のようになっている
「キリストは許せって言ったんだから、許しなさいよ」と
しかしそれは私からすると
もう後戻りできないほど、凶悪犯罪をしたような人たちを
許してあげたらどうなるかというと
彼らはまた強盗殺人を繰り返す、
そういう世の中になってしまったのは
ある意味、左翼的な思想の限界というか
北欧などが移民で行き詰まっているのもそうですが、
きれいごとだけで世界が統治できるわけではない、
世の中は、いい人もいるが、悪い人もいる、
悪い人は、改心すればいいが、改心しない人もいる、
改心しない人は、それでも天国に行けるのか?
聖書には「改心すれば天国に行ける」と書いてある。
けれども世の中には、けして改心、反省をしない悪党もいます。
そういう人たちも天国に行けるとは、聖書には書いていません。
私はそのへんのことを
ちょっと厳しく書いておきたいと思いました
そこを勘違いして、悪いことをしても許されると思っている人が
他の人を平気で傷つけたり
他の人のものを盗んだり
盗んだのがバレたら殺したりなど
やりたいほうだいやっているのを看過することは
それは、聖書が言いたいことと違うと思うからです。
「仏の顔も三度まで」と言いますが
それをすぎたら、阿修羅が出てくる、鬼が出てくる、
今は鬼が出てきている世の中だと私は感じるんです。
いいなと思ったら応援しよう!
![糸](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145071449/profile_46f299bb3b8d912163218969bef45234.jpg?width=600&crop=1:1,smart)