何度怒っても同じことするのは当たり前
先日、着物会と称して、みんなで着物を着て太宰府に行ってきました。雪降って大変でしたが、それも風情!楽しかったです。
着付けも覚えようかなーと思いましたが、着物女子のりこちゃんがひとに着付けるのを練習中なので、練習台にならなきゃ☺️(いい理由を見つけました)
子どもは自主練がとても得意です。
小児リハをしている友達に大人と子どものリハを聞くと、1つ家に帰ってからの日々の自主練を言われます。大人は基本「○○を何回」など継続可能なメニュー作りなどをしますが、子どもはお母さんがする他動運動は別として、そんなもの作ったところでわからない。だからといって子どもが次回まで何もして来ないかというと、自分がはまったことは繰り返ししてくるのだそうです。だから、あっ、これ楽しいかもとか、この先行くと楽かもとか、プラスの感情を沢山もてるようにしてるそうです。
また、つかまり立ちから独り立ちに移行する頃によくスクワットに近い動きをしてるのを見ます。この姿がとても好きです。多分、座りたいけど座れない、、を頑張ってるうちにこの上下運動楽しいっとかなってるんだろうと思います。立つより座る方が難しく「座りたい」を頑張ってるこの動きが一人歩きのための運動のひとつになってると言う感じですね。
教えられたことも、そうでないことも、子どもはこうしたいな!ということへの自主練力はとてもすごいです。
で、タイトルの言葉です😁
子どもは叱られた時にどう考えるか!?
基本的には、どうすれば次叱られないか、、、です。ポジティブです。「やめなさい!!」「それしちゃだめ!!」と言われてるので、そこ従えば解決なのですが、叱られたから止めようではなく、どうすれば叱られずにできるかを探ります。本当にポジティブです。大人には前回と変わらないようにしか見えないですが、本人はどこか変えてます。または年代によっては今にしか生きていないので、その時のことは既に忘れてます。
無意識か意識的かは分からないですが、とてもシンプルにどうすればできるかを考え実践してます。ポジティブに自主練力がすごいのです。叱る方法がどうであってもあまり効果的ではありません。それを止めるという選択肢は子どもにはないからです。
止めてもしようとすることは、多くは大人はしてるのだけど子どものうちはまだ危ないからということが多いです。幼児さんのおもちゃに一時期、スマホや携帯を模したものがありましたが、おもちゃでは遊ばないけど、大人のスマホは欲しがるということがあると思うのですが、これがまさにそうで、模倣期を中心にやりたいのは「大人がしてること」なんですね。友達のおもちゃ奪わねーよと思われるかもしれませんが、遊んでいる途中で○○をしないからと取り上げたりする行為は、自分が約束を守らなかったとかそんなことは棚に上げて本気でただただ取られたと思い、それとこれは区別がつきません。大人が理由あってしてることとは思わない結果となります。
楽しそうなことは真似したいし、大人がしてることはやっていいことというのが子ども基準です。何で大人はオッケーで、子どもは今はまだダメかというのはなかなか説明が難しいですね。なので、まだするのが危ないことは子供の前ではしないというのが、リスク予防としては必要になります。ただ生活の中ではそうはいかないので、どうしてもしようとすることは安全にできるところまでを考えてみるのもいいかもしれません。軽く言いましたがこれも日々の生活では難しいです。
医療ケアをしていると未知なものが満載でケアをしてるときょうだいさんは真剣に見てます。微笑ましいですが、できるだけ注意を他に引くか、死角になるよう工夫します。それでも見てますけどねー。どこまで努力家か!と思います。
上のような工夫をするのは、たまな訪問でずっと見てるわけではないからできることです。おうちでの出来事であれば叱っても変わらないことで誰も悪者にならなければいいなと思います。
前置きの話に戻りますが、
着付けてくれたり、着物を教えてくれたりするりこちゃんが「着物女子発掘コンテスト」に出てるので応援中です。
最後まで読んで頂いてありがとうございます😊 気に入って頂けたらよかったら、私に一杯奢ってください🍶🍺☕️