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駆け出しお坊さんの法話づくり 「仏恩報謝とお念仏」

ご覧いただき有難うございます。
僧侶になりたてで、SNSで法話を公開するのはかなり恥ずかしいことのように思いますが、それでもSNSを通じた発信が大切かと思いましたので、投稿していこうと思います。どうぞよろしくお願い致します。

今回のテーマ:仏恩報謝とお念仏

〇ご讃題

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし

(総序、註釈版聖典610頁)


皆さんこんにちは。本日はこうしてご法話をさせて頂ける機会を設けて頂きましてありがとうございます。

今回は正像末和讃の三時讃を拝読させていただきました。こちらのご和讃を解釈させていただきます。

 〇解釈

「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし」

というのが

「阿弥陀様の大悲の御恩には私の身をこなにしてまでも報いましょう」

という意味で

 

「師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」

というのが

「阿弥陀様の教えを説かれているお釈迦様や浄土の教えをつないでくださった善知識の方々にも、私の骨を砕いてまでも感謝いたしましょう」という意味です。

 

この和讃は阿弥陀様に出会って、お念仏に出会えた本当のよろこびをお教えいただいたので、返しきれない御恩を讃えるご和讃です。

 

阿弥陀様が私にかけて下さっているお慈悲とそれを教えて下さっているお釈迦様や善知識の遥かなるご恩の中で日々生活させて頂いております。そんなわたしの全てを阿弥陀様に委ねてもなお、阿弥陀様の御恩に報いることは到底出来ません。

 

しかしながら、「報ずべし、謝すべし」はといったお言葉は親鸞聖人が私達におっしゃっているのではなく、阿弥陀様のわたしの呼び声を聞いておくれという願いが込められているのだと思います。それを聞いて私に出来ることは阿弥陀様のご恩に思いを馳せてなんまんだぶと手が合わさることだと思います。

 
〇例話

もう年末の季節となりまして。今年の流行語大賞が発表されましたね。今年のトップテンに入っていたのは「親ガチャ」という言葉です。皆さんご存知ですか?

 

「親ガチャ」とは、ガチャガチャで出てくるアイテムのように親を自分で選べないことで、親が当たりだったりはずれだったりする。いまの生きづらさを抱えた姿が「親ガチャ」ということばに現れているのだろうとホームページには書いてありました。

 

「親ガチャ」という言葉が流行したのをきっかけに売れている本で、精神科医の方が書かれた「父という病」という本を読みました。仏恩報謝について考えることがありましたのでその本の話をお話ししたいと思います。

 

特等少年院で大暴れして、医療少年院に送られた少年の話を読みました。少年は小さい頃に父に暴力を振るわれており、それがきっかけで両親は離婚したのですが、父親の寂しそうな顔を見て、兄弟のうち自分だけ父方の方についたそうです。父はそれ以降も暴力を続けて、施設に入れられて、その間に自殺してしまったそうです。そうした一連のことがきっかけで非行に走るようになり、最初に持ち物検査が行われたのですがそこで出てきたのは父の位牌だったそうです。なぜ持っているのかと聞くと、

「父が死んだあと叔父の家から持って出ていきました。父は死ぬ直前、父が自殺する直前に面会に来ていたのに自分が少年院を脱走していたから、会う事が出来なかった。最後に『あなたの息子でよかったです』と言いたかった」

という趣旨のお話をされたそうです。

 

私はこの話を聞いて、少年にとっての父親はたとえ親からどんなにひどい仕打ちをうけたとしても、自分の親には代わりがいない。この少年にとってはかけがえのない存在であるのだと思います。そしてそれは私たちも同じです。

今こうして生を受けた私たちは、親であるとか環境であるとか、選べないものを背負って生きているわけですが、いまこうして私たちはお念仏する環境に出会わせていただき、虐待や差別など決して許されるような出来事ではありませんが、このご縁をきっかけとして自らを振り返るご縁であったと思わせていただく機会に恵まれました。

 

聴聞のおりに、仏法に照らされた私を顧みて、反省のうちに、お念仏にあわせていただいた尊いご縁であったと思わされます。また仏法に出会う中で、私は生まれてきた意味を考えさせてくださるご縁をいただいています。

 
〇最後に

こうしてこうして真宗と出会い、お念仏を通していまの私のいる地点を見つめて、この仏法をお聞かせいただいている世界であります。こうした仏様のご恩を感じながら、これからもお取り次ぎをさせて頂きたいと思います。

 

肝要は拝読の御文章にて。

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駆け出しお坊さんの法話づくり奮闘記
記事をお読みいただきまして本当に嬉しく思います。有難うございます。SNSを通じてのご縁に感謝いたします。南無阿弥陀仏より良い法話づくりの為に使用させて頂きます(本の購入、お聴聞の交通費)。