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白塗りのぶどう農家Episode1~新たなるカルチャー~

 この町で、新しく「祭り」をつくれたらいいよなぁー。そういえば移住当初(今から約7年前、え?もう移住してそんななるのか??ww)、そんな話を友人に話したのを思い出した。

 チンドン屋の道具を一式持って、いつもの楽屋へ。なんで顔面を白く塗らないといけないのか?と、鏡の前にいるとそんな気持ちになる。出番があると化粧をするって事が毎回毎回やってくるのに、この少し違和感があるような憂鬱感というか、そんな感じがいつまで経っても抜けない。顔面を塗る前に衣装に着替えて、ようやく顔面を白く塗ると、今日もやりますか!!ってなる。何かのスイッチが入るらしいww(ここで頭の中では情熱大陸のオープニングが流れるw)

 はい。今年2022年は飛躍の年!!と自分で名付けて、現在所属している、岩手県は花巻市大迫町(おおはさままち)に存在する「早池峰一座(はやちねいちざ)」(以下:一座)のメンバーを30名にしていきたい!!一緒にカルチャーをつくっていきましょ!!欲を言えば30名以上。。


 なんで今、一座を30名のビックバンドにしたいのか??

 

 今まで、地域おこしというワードがついてまわっていた。けど、何が正解か分からないこの世界で、バフっとしたこのワード。今まで、それらしい活動をやってきたつもりでいたが(チンドン屋以外でも)、どーーーーーも、何か足りないというか、、、、。


やってることが、

  ちゃんと伝えたい人に伝わっているのか?

 

 今まで、労力とお金をかけてきたんだと思うけど、まず、大迫町(おおはさままち)←が、‟おおさこ”に負けている時点(おおはさまと読んでくれない)であの時間は何だったのか?wwと思うようになってしまったw

 で、メディアに出ても県内で終わってしまうし、どこかの二番煎じになっていないか??叫んでも、叫んでも届いてほしい相手に届いていない…。

 毎年、毎年、自分の行動などに色々思うのですが、

本当にこれでいいのか????


 去年、後輩と話している時に、「一座のメンバーを増やしたい!」と語った事があったが、それから数か月、2021年年末に久々に里帰りして、コタツでこたつむりをしている時に、改めて

 一座のメンバーを増やしたい!!!


 もはや使命感!!!!!!


 大迫町のあの商店街を30名の大名行列で、哀愁のメロディーを大人数で奏でて、練り歩けば何か起こるかもしれない。そんな感情になった。これが現実になれば面白い。

目に見える形でうねりをつくりたい。

 言ったらからにはやらなけばいけない!!!

 使命感!!!!

 大迫町と姉妹都市のオーストリアはベルンドルフの方達をチンドン屋でおもてなししたい!!夢はどんどん広がっていく。そして、近い将来、富山県で開催される全日本チンドンコンクールで日本1を目標に!!

 それで、少しでも一座に興味を持っていただければと、今までの出来事を鈴木寛太なりにまとめて、こちらでお話していこうと思う。色々あったねーー。。。

 というこうで、まずはエピソード1から。


~早池峰一座、爆誕~ 

 一座の発祥についてメンバーに伺ったことがあった。聞くところによると、「早池峰一座」の誕生は2014年。商店街の方達の飲み会の席で決まった事らしい。当時、地域を活性化するために何をしたらいいか?という事で議論がなされ、チンドン屋をやろう!!となった。

 しかし、翌日、我に返ると、酒の勢いで話をしたことで、「あ、言ってしまった…」となったらしい。言ったからにはやるしかない!

 集まったメンバーでチンドン屋がスタートした。キャッチフレーズは「日本一下手くそなチンドン屋」そう。このチンドン屋は弱小チンドン屋。初心者マークがいまだに取れないのです。

 岩手県でチンドン屋は我ら一座を含めて2団体しかいない。

 もうひとつは師匠である、大船渡の寺町一座さん。

 チンドン屋界で、アマチュア、プロといるのですが、そのアマチュアの部門で日本一が寺町一座さんなのです。

 何度か寺町さんに色々習いに伺った事もありました~。

~CAN太爆誕!~


 で、なんで、ボクがチンドン屋になったかと言うと、時は2015年。移住当初、買ったばかりの自転車でとにかく知り合いを増やそう!と思い、手当たり次第、商店街の商店に突っ込んで、挨拶をしまくった。今でも覚えているけれど、商店街のある酒屋さんに入った時に、ボクは大きなリュックを背負っていたこともあり、「山登りですか?」と話しかけられたのが全ての始まりであった。

「あ、東京から来ました!鈴木寛太です!!!!どや」

ポカーン( ゚д゚)←ん?って感じでしたね。

 そこから、話は弾んで、この8月から「地域おこし協力隊」で、この町にお世話になること、どうやらこの男は、ぶどうの産地である大迫という町を盛り上げたいという話をしたところ、「チンドン屋やってみない?」と言われ、ボクは秒で「やります!!」と返答した。

  楽器は何にも出来ないけど、やる気ならある!!!(なんとかなると思っていたww)

 人生、どんな事が起こるかわからない。まさか、チンドン屋をやることになるとは。。きっとこういう事が連続して、次々にやってくるんだと思い、早めに免疫を付けておこうと思った。

 あれよあれよと、チンドン屋に加入。本番に向けて、毎週水曜日に練習を行う。なんにも楽器が出来ないから、どうしたらいいのか?と思っていたら、ゴロス太鼓の担当となった。チンドン屋のリズムを刻む重要な役である。

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 衣装については、商工会議所からお借りして、この赤ジャケットを手渡された。これがCAN太のはじまりで、、、。

 あ、CAN太の名づけ親は、後に詳しく紹介したい、この方。

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ハイデック(高橋秀樹氏)

チンドン屋とは関係ないが、花巻市大迫町から約70km先にある、西和賀町という町で出会い、今ではファミリーである。※写真は@東京は赤坂見附 

 一座の活動がスタートし、様々な方が加入して、現在(2022年現在)では約10名程が一座に在籍している。

 コロナ前は結構、様々なところで活動していた一座。。。

町から町への旅ガラス、憧れたなぁー。


                              つづく

 


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