『人はなぜ(大きな)おっぱいを見てしまうのか』
"なんで男の人ってすぐおっぱい見るの?"
"バレてないと思ってる?チラチラ見てるの分かるんだよ?"
"どうせ巨乳が好きなんでしょ?"
なぜ人は、おっぱいに目を奪われるのか。
電車で、街中で、オフィスで。
様々なシーンで我々はおっぱいと出会い、その度に目を奪われてしまう。
夏の盛り、皆が薄着になり、意図せずともボディラインが強調されがちな、そんな季節。
つい目線が動いたその瞬間を見咎められ、軽蔑の眼差しを浴びる。
ただのスケベ?
人間の本能?
べ、べつに、見てなんかねーし…。
人はなぜ、おっぱいを見てしまうのか。
これまで明確な答えが見つかっていなかったこの問いに対して、これまでのどの言説とも異なる、明確な答えをここに示したいと思う。
おっぱいとは、お月様である
文字通り、おっぱいとはお月様である。
差し詰め、満月は大きなおっぱいであり、新月はその逆である。
おっぱいを見ること = 夜空にある月をみること、なのである。
決していやらしい気持ちではなく、今日の月はどんなもんかいな?と言う気持ちであり、ただそこにあるものとして我々は眺めているのである。
誰しも夜空に浮かぶ月に、ふと目を奪われたことがあるだろう。
夜空に明るく光り輝き、ある時は雲に隠れ、またいずる。
その存在自体に目を惹かれ、人々に驚きや幸せを与える。
ことさら満月は耳目を集め、"中秋の名月"や、スーパームーンとして毎月の名称まであるくらいだ。
大きなおっぱいがあったら、見る。
しばらく、見る。
角度を変えて、見る。
時間をおいて、見る。
老若男女、誰しもが行うことなのである。
だからどうか、おっぱいを見てしまっても、怒ったり軽蔑の眼差しを向けないでほしい。
当たり前のことなのだから。
そこに宇宙があるのだから。
全てのおっぱいに、価値がある
決して勘違いしてほしくないのは、満月にだけ価値があるわけではない、ということだ。
満月が一際大きく明るいので目立つだけで、半月にも新月にも等しく価値がある。
そして世の中には、新月にこそ価値を感じる層も結構な割合で存在する。
(絢香の名曲『三日月』も、あれは小さめのおっぱいを称えた曲だと伝え聞いている)
だからどうか、他者と比較してサイズが劣っていると嘆かないで欲しい。
また、大きすぎることを気に病まないで欲しい。
安心してほしい、我々はおっぱいに対して等しく価値を感じている。
毎日見たい。色々見たい。一気に4つくらい見たい。と思っている。
夏目漱石に捧ぐ
かの夏目漱石が"I Love you"を"月がきれいですね"と訳した、とされるエピソードがあるが、
漱石の本心はきっと、おっぱい見せて!だったに違いない。
照れ臭くて言えないよね、そんなこと。
先生、100年の時を経てあなたの本当の心に辿り着いた人間が、ここに居ますよ。
人はなぜ、おっぱいを見てしまうのか
ここまでお付き合い頂きありがとう。
最後におっぱいと月の共通点をいくつか挙げて本稿を締めたいと思います。
・朧月(雲に隠れる月) = 濡れワイシャツ透けおっぱい
・基本、夜見るもの
→ まだ空が明るいのに月が見えるとテンションあがる
→ 日中見えるおっぱい = 地上波のおっぱい くらいテンションあがる
・月のクレーター =
乳輪とか乳首、なんかちょっとボコボコしてる感じと一緒じゃない?
・裸で抗議活動とかする人がやってるペイントおっぱい = ゼルダの伝説ムジュラの仮面の月みたいで怖い