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父の歌~旅立ち

最近の流行の歌は全く頭に入らない年になった。

光GENJIが流行っていた頃、
「最近の歌は音の上がり下がりが多くて全く頭に入ってこないな~。
音がガチャガチャしるぎるんだよ」と
父が良く言っていたのが今になってよく理解できる。

娘とカラオケに行こうものなら
ちょっと聞いたことのある曲ですらついていくことができない。
特にアップテンポな曲は
あの頃父が言っていた
「ただガチャガチャしている音」にしか聞こえなくなってしまった。

そんな私が家事をしながら口ずさむ歌は
竹内まりあや松田聖子、時に美空ひばり。
そして18番は石川さゆり「津軽海峡冬景色」

ザ、昭和の名曲ばかりだ。


父は、バスの整備工をしながら
大好きなドラムを副業にしていた。

丁度、光GENJIが流行る数年位前まで
白いスーツに身を包みディナーショーやイベントで伴奏をしていた。
たまに舞台裏からスポットライトを浴びて演奏する父を見ると
青いつなぎの作業服を着て朝会社に向かう父とは別人で
ステージに汗と喜びの音をまき散らしていたのをよく覚えている。

そんな父、本当は歌手になりたかった。

若い頃、有名な民謡の先生に歌を褒められたそうで歌手を目指した。
一旗揚げようと家出をし渡し舟に乗ろうとしていた所を
大好きな兄に泣いて止められ歌の夢は諦めた、というのは
父方家族の語り草になっている。
単純な性格で情熱的、そして家族おもいな父らしい話だ。
でも、確かに歌は上手だった。

いつも優しくおっとりして
子供に何かを強制したことがなかった父。

でも、私が東京の学校に進学する2週間前位に、
「社会に出たら、人前で歌う機会が沢山出てくる。
そうゆう時にいい歌を聴かせられたら
一目置かれるからちゃんと歌えるようにならなくちゃだ」
と、父が歌のスパルタレッスンを始めた。

お祝いの場と、歌を聞かせる場の
2パターンを持っていた方がいいという持論で
坂本冬美の「祝い酒」
そして石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を
何度も何度もカセットテープを巻き戻しながら練習させられた。
こぶしの回し方はこのタイミングではない、
この音はこのタイミングでぶつける等など。
私の演歌力はこの時人生最大級になったと思う。

歌が形になった後に私は東京で学生生活をし、仕事を始めた。

父が言う通り、
特に年上の方が多い飲み会では若い子が歌うこぶしの利いた演歌が
とっても役に立った。
社員旅行の大宴会場でのカラオケでは
どんなに盛り上がらせてもらった事か。
相当楽しい気分を味あわせてもらった。

東京に出てから、たまに電話で話す父は元気な様子だったけれど、
「お父さん、7:3に分けていた髪を急に真ん中わけにして
なんだか急に痩せちゃって。
可愛い娘がいなくなって寂しかったんだねあれは。
見ているこっちが心配したよ。」
と親せきのおばさんに聞かされたのは随分経ってからの事。

娘に歌のプレゼントを贈り18歳までの私へできることをやり切った反面、
家からいなくなった事で心に開いた穴は大きかったようだ。


親の意見と冷酒は後で利くとはよく言ったもんだが
あの時、何だかよくわからずに、必死に歌を教えてくれた父のおかげで
ここまで何度も何度も得をした。
先日も札幌に旅行して入ったすすきのの飲み屋で
私の「津軽海峡冬景色」を気に入ってくれた隣のおじいさんに
とってもかわいがってもらった。

父親からの旅立ちのプレゼントは
ゆっくり、じっくり、私の人生に効いている。

凄いなお父さん。
そして、ありがとう。


最後までお読みいただきありがとうございました。









母の実家に結婚を申し込みに行った時に
「中学卒業の学歴しかない奴は嫁にはやらん」と
祖母にお断りを食らった。あの時結婚してなかったら
お前たちはいなかったんだぞ~という話を聞くのが
お墓参りの毎度の行事みたいになっている。

50歳間近になり、自分が親としての時間を過ごしてきてみて
娘たちに響く事は言えたものだろうか、、、




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