アーリーギブアップはやはり簡単じゃないだろう

今回の記事も自己責任の上で宜しくお願いします。

僕が勝手に掲げているアーリーギブアップ(資産と気力が尽きるまで生きる)という言葉はFIREなどと比べるとかなりマイナーだと思う。流行るのもいかがなものかもしれないが。

では何でアーリーギブアップは注目されないのだろうか?先日 アーリーギブアップに関する記事を拝読させて頂いたが、「お金が尽きたから人生を終わらせようと思っていても実際はそうはいかない」というような意見があった。
確かにそれはもっともな意見だ。現在の僕もお金が完全に尽きたら即人生を終了させられるか?と問われたらYESとは答えられない。
拙い方法ではあるものの転職活動やその他金策に走って、色々ともがくだろうと思う。

人間の本能として生きる欲というものは基本的には根強いものであり、そう容易くなくなるものではないのだろう。

今予想できるのは「ある程度」苦しみ、悩み抜いた上で納得して生涯を終えるというところだろうか。
そういう意味で言うとネット上で旅立った絶望系の人達に近い存在なのかもしれない。

世間全体では失業したりお金が尽きたりしても人生を完全に諦める人は少数派だろう。リアルの人間関係では吐けないことを発信しやすいSNSにおいて生き辛さや絶望的な呟きを散見するものの、まだ頑張るエネルギーがあったり、前向きさを失っていなかったりで。
当然中には本当に生涯を終えた人達もいるのも事実だが。

結論から言うとアーリーギブアップは難しいし、多くの人達からは理解を得られずに孤立してしまう。そんなことをするぐらいならば正々堂々とFIREを目指して資産形成をするなりした方が共感を得て仲間もできやすいのでそちらを目指した方がいい。

しかしながらそれをどうしても実行に移せない人種もいることも確かだ。かつてネット上に存在した「絶望系」の人達がそうだったと思う。彼らもかつては生きる為の行動を取っていたはずだが、紆余曲折を経て回復不能なまでになって誰にも止められない状態にまで踏み込んだのだ。

ネット上ではFIREを目指したり人生改善の為に前向きに行動されたりしている人達を大勢見かけるし、本当に素晴らしいことだと思う。実際に彼らの行動に影響を受けることも少なくない。

それでも根本的な部分で熱量が違うというか、そこまで本気になれない自分がいてその度に決定的な違和感を覚えてしまうのだ。
そう意味も含めて僕はアーリーギブアップ型なのだろう。


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