FIREができない者の生き方

どうもお久しぶりです。ずっとnoteを放置していた放浪風ていのうでございます。昨年の末にnoteを立ち上げてからは何本か下書きを書いてみたものの、最後までまとまりきらないので現在に至りました。

最初に断っておくが、今回の内容は決して推奨も強制もしない。むしろブラウザバックを推奨する。

FIRE(Financial Independence, Retire Early)という言葉は恐らく小学生でもお馴染みになっているのかなと思う。簡単に言えば自力で早期リタイアできるだけの資産を貯めてリタイア生活を送ることだ。

僕はブログも運営しているのだけれども、既にFIREを達成された方と出くわすことが意外と多い。退職金で〇〇〇〇万円を貰ったとか、そのお金を原資として資産運用の生活をされているとか。
彼らの10分の1、いや100分の1くらい?の資産しかない僕が何で彼らとネット上で遭遇するのかは未だにわからないが 笑

あと、現在FIREは達成していないけれども、それを目指しているという人達を多く見受けられるし、実際にtwitterのフォロワーにも存在する。
現在の厳しい経済状況や各個人の逆境があろうとも、FIREをモチベーションにして頑張っておられるのだろうと思う。嫌味抜きで凄いと思う。

じゃあ僕はFIREを目指しているのか?と問われたら答えはノーだ。これは既にFIREを達成しました!というわけでは決してない。実態はとても人様に見せられるような収入でないし、総資産も自慢できるものではない。本来ならばこうしてnoteなんて書かずに副業や収入アップの行動を取るべき男なのだ(多くの人達はそうしているはずだ)。

そうすると年老いてもずっと働き続ける「生涯現役」になるがそれでもいいのか?という話になるが、それに対してはイエスだろうか。
厳密に言えば僕の感覚としては既に「老後」の状態であり、働けなくなった時、或いは貯金が尽きた時がお迎えの時であると考えているからだ。

僕はこういう生き方をアーリーギブアップと勝手に呼んでいる。

ネット上で「アーリーギブアップ」を実際に行われたと思われる方々を何人か知っている。今までの人生や労働で傷つきすり減って、最後の時間を自由に生きようとした人達だ。
彼らのようにネット上でそれを公開するケースは極めて稀だろうが、他にもそれを既に実行した、実行中である人達はそれなりにいるのではないかと踏んでいる。

アーリーギブアップの最期はどんなものになるのかはわからない。だけど本気でそれを選んでしまうということは、残念ながらその人の寿命が既に尽きてしまったということではないかと思う。
それを本気で止めるには綺麗ごとや精神論ではなく、実際にお金と労力を使わなければならないし、100%成功するとは限らない。それだけ難しいことなのだ。

こういう生き方がもう少し認められても良いのではなかろうか?
少なくとも僕は現在そして未来の時代に適合した生き方の一つであると思う。


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