現在のギリ健について思うこと
どうも放浪風ていのうでございます。今回は偏見が多く含まれていて障害を持つ方々には不快になる内容になる可能性がありますが、敢えて書かせていただきます。
今のうちにブラウザバックを推奨します。
twitterやブログのプロフィールでも書いているが自分はギリギリ健常者(以下ギリ健と略す)を自称している。厳密に言うと未診断で発達障害の特徴があると思い込んでいるただ無能であるが。
ギリ健とは僕に言わせると障害者になれない健常者だ。明らかに労働の能力が一般の人より大きく劣っていたり、日常生活でも他の人ができることが苦手だったりしても、医療機関で診断してもらったら健常者の判定を受ける。そして努力不足という烙印を押されてしまう。
健常者という枠から外れたら等級による違いはあれども何らかの支援を受けることができるが、それができない無念の存在。
ネット上で度々話題にも上がったし、近年ではこうした書籍も多数出版されている。注目されるようになったのは良いことだと思う。
ブログでも何回かギリ健問題の記事を書いたことがるが、かつてほど熱くなれなくなった。正直なところ疲れて諦めたのだ。
ギリ健、グレーゾーンの問題はいくら福祉が充実しようとも絶対に解決はされないというのがある。
健常者のストライクゾーンが広すぎるという認識もあるし、現在の高度な労働環境においては障害者認定をしやすくして福祉を手厚くした方が理想だ。
しかしながら財源の問題や、納税者側から「ずるい!甘えるな!」という猛反発が予想されるだろうからそれは非現実的だと思っている。
それに仮に障害者の範囲が広くなって、現在のギリ健の人達が障害者認定されて福祉を受けられるようになったとしても新たなギリ健、グレーゾーンの人達が生まれてしまうと思う。
あとは同じギリ健、グレーゾーンの人達の中でも能力格差もある。以前話題になった「バリ層、ギリ層、ムリ層」みたいなものと言えば良いだろうか。実際には三段階じゃなくてもっと細かいグラデーションもあるし。
そうした能力や個人の性格の違いなどもあって、ギリ健・グレーゾーン界隈でも対立が生まれてしまっているようにも感じる。
それに加えて一部の健常者からは異端者扱いされ、一部の正式な認定を受けている障害者からは「自分達よりマシな健常者の癖に甘えるな!」と批判されて板挟みに遭って孤立する無念の状態。
本当に答えが見つからないというのが今の心境だ。
今の僕は福祉に頼る予定はない。以前は何とか福祉に繋がれないだろうかと色々と調べていた時期もあったものの、それが不可能であると諦めたのだ。
かといって1億円を貯めてFIRE!!というわけでもない。それができるならばもっと早い段階で何かしているわけなので。
あくまでも自己責任で自由に生きることに努める。それが今の僕の答えだ。