おいしいおにぎりのあるラーメンや
おいしいおにぎりのあるラーメンやのすぐ裏に住んでいた。
ほんとうに裏。本気で走ればたぶん30秒でつくくらいちかいところ。
そこのラーメンやのおにぎりがとにかくおいしかったことを思い出した。
そこはラーメンもおいしくて、仕事終わりよくへとへとになった体にご褒美として吸い込まれるようにはいっていっていた。
チャーシュー麺といっしょに、かならずおにぎりを頼む。
このおにぎりが、まあ〜おいしい。ほんとうにほんとうに、おいしくってたまらない。
考えだすとよだれがでてきてしまうし、なかなか食べにいけないことをおもうも胸がキュッと苦しくなるくらいにそこのおにぎりがだいすきだ。
そのおにぎりはお店のおばあちゃんがにぎっている。なんでこんなにおいしいのかは、そのおばあちゃんの手だったりにぎりかたによるものだそうだ。
他のひとがにぎっているときは、やっぱりちょっとちがかったと、会社のひとがいっていた。
わたしもあんなおにぎりを握れたら、とおもってしまうほど、ほんとうにほんとうにおいしい。しおおむすび。
ああ、たべたい、でもたべれないから胸がどんどん苦しくなってきた。
1年前のこと、記憶がすっぽり抜け落ちたかのようによく思い出せないじかんがつづいていたけど、さいきんはよく思い出す。
すごく苦しかった時期なのに、思い出すのはおにぎりのような愛おしい思い出だったり、会社のひとたちとあそびにいったたのしかったことばっかりでふしぎだ。
時間の解決度ってすごい、と改めておもう。渦中はあんなにも苦しくてたまらなかったのに、過ぎ去ってしまうとそんなまいにちさえいとおしくおもえるのはなんだか、すなおにうれしいとおもえない。そんくらい苦しかったから、なんだかなあ、と思いつつ、でもやっぱり、よかったのかあ、ともおもう。
岡山をにどと行きたくない他になるんじゃないか、とさえおもっていたけど、いきたくてたまらない。そのくらい、おきにいりのばしょ、景色をたくさん覚えている。
都会のよさ、田舎のよさ、どっちもある。わたしはどっちに偏りすぎてないところに住みたい。
ほっとできるばしょや逃げこめるばしょが多いとちに住む。わたしもそれをつくる。おむすびみたいに癒しのやつ。