年を重ねることに、ときめきたい
「年をとること、うれしいもんじゃなくなるよ〜」と、2年前くらいに年上のひとがいってた。
その頃、学生を卒業したてで、「さあこれから!」というところにいたから、たのしくてしょうがなかった。
「どうして?」とおもった。年を重ねることはたのしいことだとまっすぐにおもっていた。
ことし、すごく年齢基準でものごとを考えることがおおかった。
「まだ○歳だからだいじょうぶ」だとか「○歳までにこうなっていないとやばい」だとか、そんなことに怯えたり、焦ったり、安心したり、きもちをすごく揺さぶられていた。
すごくじぶんの年齢がきになったし、まわりのひとのことも年齢をすごくきにしていた。
いまもまだまだ、年齢基準にかんがえてしまうところは抜けきっていないからこそ、おっきい声でいいたい。
年を重ねることにときめきを感じるおとなになりたい。
いまの時代だとか、世間の基準とか、そういうものをいっさいがっさい気にしないひなんてきっとこない。ずっとつきまとつし、わたしはすごくきにしいだから、ふとしたときに落ち込んだりをたくさんする。
けど、年齢を重ねることに怯えたくない。年齢を基準になにかをあきらめたくないし、良し悪しを決めたくない。
「若さ」は特有の魔法があることはわかる。その魔法はすごい。でも、年を重ねて得ていく魔法は、耐久性がきっとある。「若さ」はもろいし、終わりがみえるけど、「これから」の魔法はどうなっていくのかまったく見当がつかない。
魔法も奇跡も、おっきい、わかりやすいものだけじゃない。
ことし、すごく苦しかった。年齢の足枷がどんどんこれから重みを増していくのかとおもったらこわかった。いまもちょっとこわい。
でも、たしかにいいたい。きもちを持っていたい。年を重ねることは、すばらしい。わたしはわたしの明日も来年も再来年をみたいし、みんなのもみたい。いっしょの未来をみたいし、過ごしたい。
みんなの熟練の魔法を見せあったり、試しあったりしたい。
「年齢」っていうわかりやすいもので目を塞がれることを拒みたい。ちっちゃいところまで見逃したくない。細部までそのひとの蓄積されたパーツをみたいし、じぶんのパーツをみせたい。
老いることを、恐れたくない。変わりながら変わらないものを抱きしめていきたい。