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ばしょをおもう


場所をつくりたいな、場があればいいな、ここ3年くらいずーっと、ぼーっと、頭にあることだ。

なんで場がいいのかな、どんな場がいいのかな、と考えたとき、「鎧や武器を脱げるばしょがいいな」とおもった。


そこにいけば世界が変わるわけでも、そこにいけばなにもかもだいじょうぶになるわけでもないけれど、その場その場で求められて気づいたら身につけてた「みえない鎧や武器」をぜんぶ、脱げればいいな、とおもう。

「みえない鎧や武器」、脱ぐことをけっこう忘れてしまうんじゃないかとかんじる。

「みえない」からかもしれないし、「脱げない」のかもしれないしけど、

でも、脱ぐことはだいじだ。

ずっと身につけてたら、じぶんの温度、わからかくなっちゃいそう。なににこころが動いて、なにに傷つくのかとか、じぶんはなにを考えているのかとか。

どんどんじぶんに鈍感になっちゃうの、こわいよ。敏感すぎても、苦しいけど、でも鈍感にならないでほしいよ、みんなみんな。


なにかおっきなものの一部とかにじぶんをはめ込むと、どれだけじぶんの意思を保とうとしても気づいたら流されちゃっていたり、なりたくなかった大人になっていたり、まいにちに色がなくなってしまったように感じることがある。

その色とか、温度とか、きもちいいとか、そういうのを思い出せる、確かめられるばしょがいいな。

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