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しぜんに触れるばしょをもつ


家の中、部屋のなかはいい。

閉じこもることでじぶんを守れる。傷つくことを未然に防ぐことができる。

でも、それがずっとだったり、量が多すぎたとき、わたしはどんどん、外への免疫力を失う。

外への接触がどんどん腰の重いものになってゆく。


岡山に住んでいたとき、休みの日15じすぎくらいまでベッドの上で過ごしたどようびのつぎのひは、よく船に乗って島へ行ったり、電車で瀬戸大橋を渡って香川へ行ったりした。

お金がないときは、自電車を漕いで近所の神社へ行ったり、瀬戸大橋の真下の釣り堀へいって、ただただぼーっとしたりした。

そこは家の中でも、部屋のなかでもなかったけれど、たしかに守られていると感じるばしょだった。

関東へ帰ってきて、岡山にいた頃のようなおっきい自然に心地よさを感じることがめっきり減ったことに気付いた。

なにをするでもなく、ただそこへいけばだいじょうぶになれるばしょをもっている、ということは、押しつぶされそうになる毎日のちょっとした瞬間を持ちこたえるには十分な要素だとおもう。

わたしは、学生時代にけっこうつよいコンプレックスや劣等感をもっているからか、地元の居心地があまりよくない。

じぶんと縁もゆかりもない、でもわたしはここがすきだなあ、というところにとても惹かれてしまうところがある。

15じだい、日が沈み始めた頃にのるでんしゃがすきだ。日があたったり、あたらなかったり、外の景色も影がだんだんつきはじめていたり、それをただぼーっと眺めているのがとてもすきだ。

なにに心を預けられるかを、見逃してはいけない。


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