閉ざして、ひらく
なにもかも、一旦閉ざしてしまいたくなったとき、「閉じちゃえ」と閉じてみた。
一時的にずーんと落ち込むことはこれまでにけっこうあったけれど、ここさいきん、半年くらいつづくこのかんじは、「一旦おっきい扉、閉めちゃおう」といったかんじだ。
だから、けっこう思いきって、ちょっと気乗りしないことは片っ端から「ごめんなさい」した。
「いける?いけない?いけないの要素がつよいなら行かなくていいよ」の判断をしていた。
さいしょのほうは、「せっかく誘ってくれたのに」と気兼ねしてしまうことのほうが多かったし、「誘われなくなるんじゃないか」と不安もあった。
でも、一旦閉ざしてよかったとおもっている。
ひとと会うと「現状のじぶん/これからのじぶん」について、答えなきゃいけないことを用意してしまうクセがある。答えるためにじぶんを鼓舞して、その答えをいうたびにちょっとずつ消耗していくような。
これがけっこう、どしん、とクるし、この答えをいちいちいっちゃうじぶんをみてるのがちょっと悲しかった。「いわなくていいんだよ」と思う反面、「いわせてごめんね」ともおもっていた。
だから、大舵をきった。
おもくておっきい、童話のお城の前にあるようなおっきい扉をいったん閉めた。「ちょっと留守してます」の貼り紙はって。
いまは寒いし、もうすこし閉じててもいいし、でも年も明けて春のことをたまにおもうと、扉をあけるときがちょっとたのしみになったりするよ。