一発逆転とともだちになれるか?
「一発逆転」とか「一発当てる」とか、聞こえはいいけど、「ともだちになれるか?」と考えたとき、どうかな、とおもった。
さいきん、考えがすごくゆっくり、だけどたしかに、変化しているのがわかる。
おっきい声はうるさいし、「ルック・ミー!」な声もうっとうしいし、なんだろう、たしかに、ひび積み上げてるひと、かっこいいとおもいます。
「やればできる」ってなんだろう、ってこの前バイト中考えてました。
「やればできる」ならやればいいのに。口を動かさず、たしかにやってきたひとはもうやってきているから、「そりゃやればできるよな、だってやってきているもんね」となるな、と。
じぶんのやってきたことがいちばん信頼できるとおもいます。じぶんはやってきていることを知っているし、やってきているからひとにも伝えやすい。
なにか劇的な出会いで変わっていくことももちろんあるけど、劇的な出会いにしていくのは、けっきょくじぶん次第だとおもいました。
あとから「あれがなかったらこうなってなかったな」と気づくことが、とても多いし。
やっぱり、じぶんもじぶん以外のだれかも「身体をとおした」こととそうじゃないことでは、ぜんぜんおもしろさがちがうな、とおもいます。
「身体をとおす」ことっておもしろいです。頭とちがうことがすぐに起こるので。