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医心方 第二十七 養生篇 大體第一(10)鳳凰堂流解釈
荘子は老壮思想として有名で、鳳凰堂はよく応帝王篇を引用します。
養生については次のように伝えてくれています。
「良く性を養う人は、羊を放牧するようなものである。遅れている羊を見て、鞭を打つ。
魯の国に単豹という人がいて、岩に住み、水を飲み、一般の人とは利益を共有していなかった。
齡七十でまだ幼時のような顔色をしていたが不幸にして餓えた虎に出会い、食べられてしまった。
張毅という人がいた。彼は門を高くして簾をかけていたので会いに行く人もいなかった。
齡四十で熱病で亡くなった。
豹は自分の内を養っていたが、虎に外を食べられてしまった。
毅は自分の外を防御して養っていたが、自分の内を病に攻められた。
この2人はどちらも遅れた羊に鞭を打たなかった人である」と書かれている。「その遅るる者を鞭つとは、その不足しているものを補う事である。」
つまり養生は身体と言う外側、心と言う内側のどちらに対しても養っていく必要があるものと伝えてくれています。
いくら熟慮できる人であっても運動や身体のケアをしていなければ、そとから身体は衰え 、運動や身体のケアができていても欲に溺れれば心や内臓から病んでいきます。