鍼灸大成②鳳凰堂流解釈
原文
衛生鍼灸玄機秘要敘
鳳凰堂流意訳
衛生鍼灸玄機秘要序
原文
當聞醫道通於儒而其功與相等埒得非以儒者運心極而劑量之,能使天下和平。
與醫之起痬興疴,躋天下於仁壽,其事與功均也。
然儒者未能窮經反約,則施且必悖。終無補於治功。而醫家治六氣之淫,辨五方之感,察百病之因,其說具在載籍,無慮數拾百種。專業是者,未能窮而反之,得其說於會通,吾未見其功之能相也。
竊當譬之,執方待病者,刑名之餘緒也。
鳳凰堂流意訳
醫の道は、儒教に通じてから尋ねる効果と儒教を用いずとも運心を極めた人とは同等のものとして、良く天下を平和にすることができると考える。
醫ができものを起こしたり、病気を起こすことと、仁寿と称して天下を踏むことはどちらも同じことなのだ。
しかし儒者は未だ経典を極めてもそれを広める事ができず、ほどこせば必ず乱れている。最終的には何も補わない方が治療効果がある。
醫家は六氣の淫邪を治療し、五方の感じる邪気を区別し、あらゆる病の原因を察す。その說は古典典籍にあるが、配慮なく数十数百種が記載されている。
これを専ら業とする者が、未だ極め尽くせず、反対のことをしている。その説が通じても、私は未だその効能が分からない。
これを盗みに譬えると、処方を持って病を待っている人は、刑罰にはないが人の道から外れていると言える。
鳳凰堂流解釈
古書の序文はとても面白く、当時の業界の愚痴から始まることが多いが、
何百年間も序文に愚痴が描かれていることをみるにつけ、人は学び、成長する事を厭わないものと楽をしようとして結果動物のように、また餓鬼、畜生、修羅のように生きていく人の陰陽で様々な人生を織りなすものだと思うほかないように感じられる。
願わくば、その輪廻からも抜け出す精神を育む為の一助となれば幸いである。
人は輪廻を巡り巡っている状態からしか、理解し、理解を離れ体感、実感することができないからこそ、まずはこの現象を鳥瞰することができれば第一歩となるのではないだろうか。