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鍼灸大成③鳳凰堂流解釈

原文
導引
仰人周身總穴圖
伏人周身總穴圖
針道源流
《素問》十二卷,世稱黃帝岐伯問答之書。及觀其旨意,殆非一時之言,而所撰述,亦非一人之手。劉向指為諸韓公子所著;程子謂出戰國之末。而其大略正如《禮記》之萃於漢儒,而與孔子、子思之言並傳也。蓋靈蘭秘典、五常正大、六元正紀等篇,無非闡明陰陽五行生製之理,配象合德,實切于人 身。其諸色脉病名、針刺治要,皆推是理以廣之,而皇甫謐之《甲乙》、楊上善之《太素》,亦皆本之于此,而微有異同。醫家之綱法,無越于是書矣。然按西漢《藝文誌》,有《內經》十八卷及扁鵲名。白氏云:《內經》凡三家,而《素問》之目乃不列。至隋《經籍志》始有《素問》之名,而指為《內經》。唐王冰乃以《九靈》九卷,牽合《漢志》之數,而為之註釋,復以陰陽大論,托為師張公所藏,以補其亡逸,而其用心亦勤矣。惜乎朱墨混淆,玉石相亂,訓詁失之于迁疎,引援或至于未切。至宋林億、高若訥等,正其誤文,而增其缺義,頗於冰為有功。
 
鳳凰堂流意訳
《素問》十二卷。世に言う黃帝岐伯問答の書である。その旨意を俯瞰して見、考えると、これは一時代の言葉ではなく長年の経験を撰述しており、また一人の手によって撰述されたものでもない。劉向[1]は諸韓公子が著したと指摘し、程子は戰國末の出典だと言っている。そしてその大略は漢儒が《禮記》を抜粋して孔子、子思の言葉を並べ伝えたものと同じような事であると言っている。おそらく靈蘭秘典、五常正大、六元正紀等の篇については無非闡明陰陽五行生成の理が明確になっていないわけではないが、配象合德され実際の人身に合わせている。様々な色脉病名、針刺治要等は全てこの理論から押し広げられており、皇甫謐の《甲乙》、楊上善の《太素》も又全てこれを元にしていて、大同小異の状態である。醫家の綱法はこの書を越えることはない。しかし、前漢の《藝文誌》には《內經》十八卷と扁鵲名。白氏は《內經》に三家あり、《素問》の目録はきちんと並んでいない。隋代になると《經籍志》の始めに《素問》の名があり《內經》とされている。唐代の王冰は《九靈》九卷を《漢志》の数と重ね合わせて、これを註釈しており、陰陽大論を復活させて師である張公に所藏してもらった事で、散逸した部分を補填している。惜むらくは赤線と本来の執筆とが玉石混交となっており、訓詁学的にも失われた部分がある為、切韻等ができていない。宋代の林億、高若訥等になってから、誤文を正し欠けた部分や意味を増やした。
 
[1] 紀元前77年(元鳳)~紀元前6年。享年72歳。本名は劉更生、字は子政。沛郡豊邑(現在の浙江省徐州市)の人。漢王朝の宗室大臣。中国最古となる図書目録《別録》を撰述し、中国目録学の父とされる。陽城侯劉徳の子であり、経学家劉歆の父である。
 
鳳凰堂流解釈

《素問》、《霊枢》、《難経》等の理解できない部分を古人がどう解釈しているのかを知りたくて、古書の中では比較的浅い(現代に近い)鍼灸大成を読んでみたもの。

《黄帝三部鍼灸甲乙経》は現代の鍼灸師の基本となっており、《十四経発揮》は昭和世代の鍼灸師の基本である。

鳳凰堂は、訓詁学、音韻学等はイメージできない時、深掘りする時に仕方なく参照する程度である為、意訳や解釈にご意見ある方も多いかもしれないが、鳳凰堂自身も死ぬまで考えを更新し続ける為、ここでなぜ解釈を書いているかに思いを馳せ、ご容赦願いたい。

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