老子道徳経と中医学的身体観㉟
副題 仁徳
鳳凰堂流解釈
道とは、型。
古来から伝わってきたものを凝縮し、簡単にしたものでもある。
変易(へんえき)、不易(ふえき)、簡易(かんえき)を1つに纏めたもの。
初めは簡易と不易。ただ型をなぞり、身体に染み込ませる。
これが極まると、応用が効き(変易)、
あらゆるものに応用ができると、道はあらゆるものに通じる事が理解と体験双方から分かる。
この道、型は、結局は信じて自ら実践する事でしか得られないと言う面では、
受動的な音楽や料理には目先は敵わないが、身につければ自身の一生の光明となる。
鳳凰堂流意訳
道を歩けばどこでも害はなく、安定する。
良い音楽や食事は、それだけで通る人の足を止める。
道はただ淡々とあるだけである。
自身でその道を歩き体験していかなければ、見ようとしても見えず、聞こうとしても聞こえないが、
実際にその道を深く歩いて行けば、尽きることな体験できる。
直訳
大象(だいしょう)を執(と)りて、天下に往く。往きて害せず、安平太(あんぺいたい)なり。
楽(がく)と餌(じ)とは、過客(かかく)止まる。
道の口より出(い)ずるは、淡としてそれ味なし。
これを視れども見るに足らず。これを聴けども聞くに足らず。これを用うれども既(つく)すべからず。
原文
執大象、天下往。往而不害、安平太。樂與餌、過客止。道之出口、淡乎其無味。視之不足見。聽之不足聞。用之不足既。
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