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言葉と文章、奥と裏
何十年も何度も古典文献を読み解いていると、
文章よりもその人、その集団(グループ)が何を考えて書いたのか、何を伝えたくてこの文章を遺したのか、全体におけるこの文章の役割等に意識が行くようになる(鳳凰堂流)
例えば、鍼の経典とされる、黄帝内経・霊枢の1番始めの篇は「九鍼十二原」篇。
題名からは、
今の世にあるあらゆる鍼術と
人の身体にある代表となる経穴(ツボ)の全て
と読み取れるが、
冒頭には、
黄帝が、民から税を徴収し、自身の雇っている役人に給与を払っているが、民自身には何もしてやれていないから、
毒薬(漢方を始め、身体の中へ入れるもの)を使わず、外科的治療(身体を傷つけるような技)も使わず、
この毫鍼(毛のような細い鍼、現在の鍼灸師が使っている鍼)だけで何とかしたいから教えて欲しい。
と、侍医(御典医、お抱えの医師)に尋ねる所から始まっています。
つまり、今の世の中(後漢の時代)には様々な鍼の形、技術があるけれど、
毫鍼だけで何とかしたいと書いています。
鍼道の本道を追及した後で、他の八鍼を自分の技量によって使い分けるのが第1段階。
毫鍼だけ、1回刺すだけで変化を捉えるのが第2段階。
自身の言葉や所作、指導で終わり、毫鍼すら使わないのが第3段階。
自身の徳で全てが流れ、気が形を育み循環するのが最終段階として、鍼灸師の修養段階を設定した後、
ご縁があった方と共有し、変容できる事が黄帝の真意に適う事と考えています。
死ぬまでにどこまで行けるか楽しみ(*´艸`*)
肉体はなくなっても、この精神はまたタンポポの種のようにどこかに根を降ろしてくれると信じてます♪