観相学の歴史
何事も一つの太極(軸、枠組)を考える際には、始めと終わりを知る必要があります。
太極は有形で循環するものだから。
観相学の歴史は、洋の東西を問わず古いのですが、文献として採用するものは限られており、ここでは鳳凰堂の拙見による抜粋となりますのでご注意ください。
中国で1番古いとされているのは、
周代姜子牙「万年歌」。
春秋戦国時代には、論語、孟子、易経、左伝等に相学の記載があり、末期には唐挙と言う人物が有名。
漢代は許負と言う人物が出て発展し、
三国時代の諸葛亮孔明著「馬前課」を経て、
宋明代に観相学の流行と発展のピークを迎える。
有名な書物には、麻衣相法(麻衣神相)、柳庄相法、神相全篇、水鏡集、相理衝眞等があります。
日本においては、
古くは聖徳太子平氏伝、本朝列仙伝、源氏物語等に記載され、文献上は
室町時代:天山阿闍(てんざんあじゃ)
『先天相法』
江戸時代:水野南北「南北相法」
菅沼梅荘「相顔貌伝書」
石龍子「観相学大意」
二代目石龍子
「神相全編」を簡略化した「神相全編正義」
等があります。(ここまでは「神相全編正義」より抜粋
一方、西洋では、
古代ギリシアでソクラテスが弟子を取る手段として用いていた外、アリストテレスが動物と人間の比較研究「観相学的三段論法」を唱え、ガレノスに引き継がれてからは時代が進み、
13c頃にピエトロ・ダーバノ「観相学概要」
16c ナポリ ジャン・パティスタ・デッラ・ポルタ(Giambattista della Porta)「人間の顔について」
近代観相学の祖としてヨハン・ラヴァター これまでの観相学の記録を体系的にまとめ「観相学断片」出版
エルンスト・クレッチマー「体格と性格」
オーストリアのフランツ・ヨーゼフ・ガル(ドイツ人医師、解剖学者) 骨相学(フレノロジー)の創始と言う流れになっています。
いずれにしても、人の内面を観る為に、外見を深く洞察する事は、大宇宙と小宇宙の相似や反射区として医学、心理学で研究されてきた歴史があり、これを知る事で天運と人事を重ねる、天人相応、魂・心・感情・内臓・行動を繋げる端緒になるものです。