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医心方について(3)
江戸期に江戸医学館より印刷、出版されて以降、
本来、養生、養性の為に書かれたものでありながら、房内篇と言われる部分だけが房中術としてクローズアップされ、
江戸後期や明治時代等に何度か発禁となっています。
その中でもしっかりと内容を見据え、独自に書き改めたのが貝原益軒。
養生訓の元とも言えます。
貝原益軒は福岡藩。ここでも何かご縁を感じます。(鳳凰堂は福岡県出身)
黄帝内経から続く、養生していれば病まないと言う思想は、
医学の発達(病の深掘り)によって一方的な見方となり、
健康に目を向けず、病や死の心配をするか、
好き勝手に生きて、最後に戻ってくるかの道しか見えなくなっています。
また、近代の中医学では、
医心方は古代の総合医学事典と言う結論がだされています。
死んだ文字だけを見れば確かにそうかもしれません。
しかし、東洋医学は近代中医学のような唯物論ベースの研究、実践ではなく、観念論、唯物論を合わせた実践研究書です。
そして当時日本へ来るだけでも大変な時に渡来し、帰化した子孫が日本の為に(生薬は日本で栽培できるものを選んでいるとのこと)最高の医学書を日本に遺す。
どんな想いで作ったのか想像に難くありません。
先ずは、その養生、養性の真意を鳳凰堂流解釈で養性編としてお届けします。