鍼灸大成④鳳凰堂流解釈
原文
《難經》十三卷,秦越人祖述《黃帝內經》,設為問答之辭,以示學者。所引經言,多非靈、素本文,蓋古有其書,而今亡之耳。
隋時有呂博望註本不傳,宋王唯一集五家之說,而醇疵或相亂,惟虞氏粗為可觀。
紀齊卿註稍密,乃附辨楊玄操、呂廣、 王宗正三子之非,周仲立頗加訂易,而考証未明,李子野亦為句解,而無所啟彂。
近代張潔古註後附藥,殊非經義。
王少卿演繹其說,目曰重玄,亦未足以發前人之蘊。
滑伯仁取長弃短,折衷以己意,作《難經本義》。
鳳凰堂流意訳
《難經》十三卷は、秦越人が《黃帝內經》を祖述し、設問に対する答弁という形で研究成果を示したものである。
霊枢、素問を引用しているが、多くは靈、素本文からではなく、現存していない。
隋代の呂博望註本は伝わっておらず、宋王唯一集五家の說は優れている面と瑕疵がある部分とが混在しており、虞氏は粗いが見るべきところがある。
紀齊卿註は楊玄操、呂廣、王宗正三子の欠点が描かれている点に関してはやや細やかに描かれている。
周仲立は大きく改訂を加えたが考証はまだ明らかでない。
李子野もまた句解をしたが啓発するものがない。
近代の張潔古註は後ろに附藥があるが、とりわけ經義については語られていない。
王少卿の演繹說は重玄学派[1]について書いているが、先人が包含していた域には足りない。
滑伯仁は長所を取り短所を捨て折衷した上で自身の意見を加えて《難經本義》を著している。
[1] 《道徳経》第一章“玄之又玄,衆妙之門”から悟りを得たもので双玄とも言う。
鳳凰堂流解釈
この他、東洋医学(江戸時代を含めたもの)としては、《難経疏証》や《難経鐵鑑》 等があるが、それほど研究されてきた鍼灸専門古書であるにも関わらず、現在ではあまり伝わっていない。
鳳凰堂は、最初の脈診による鍼マニュアルと言う位置づけでここからまた、素問、霊枢を読み返す必要を感じてもらいたい書である。