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011_AirPods Pro | Apple

AirPods Proを買って、とても満足しており、文章をしたためました。

"白いうどん"、と発売当初は評されたAirPods。

日本人であれば、誰しもが容易にその形状から"うどん"を想起してしまうのが本当に不思議。そんなAirPodsは海外の人にとってはどういう風に見えているだろう?

もしかしたら、その形を揶揄しているのは日本人だけかもしれない。

そんなAirPods。そんなJapによるdisをAppleが意識したかどうかはわからないけれど、 AirPods Proは『もう、うどんとは呼ばせない』というAppleらしからぬコピーと共に颯爽と登場、App vs. Japのビーフでシーンがにわかに盛り上がったのは記憶に新しいです。

ということはなく、本当のAirPods Proのコピーはというと... これまた特になく、特徴が文章で紹介されるのみ。

そして、肝要のそのデザインには触れられておらず。

しかし、我々日本人にとっては、AirPodsからAirPods Proへの最大の進化は、そのデザインこそがすべて。そう、"脱うどん"こそが声高に叫ぶべき一番の進化。

AirPodsも発売されて時が経ち、街を歩けば、付けている人に出会わない日はないくらい。そんな光景を見慣れるうちに、うどんに見えていたAirPodsはすっかり風景に溶け込んだよう。

もはや、概念的には「うどん」、ではなく「ほうとう」。

それなのに、満を時して"脱うどん"化を果たしたAirPods Proが颯爽とシーンに登場したおかげで、"脱うどん"化したはずのAirPodsが逆説的に再度うどんに見えてくるという現象が生まれているがの昨今。

どれだけうどんが好きなんだ、日本人。

そんな前置きはさておき。このワイヤレスイヤフォンにAppleが本格的に参入したことは非常に大きなインパクトをもたらすと見ています。そして、それはスマホ市場におけるiPhoneのシェアが意味不明に高い日本において特に顕著なはず。

既報の通り、近い将来、iPhoneにはワイヤレスイヤフォンが標準搭載になるはず。そして... 誰霜が耳から白い物体を生やすことになる、そんな未来。

満員電車に乗れば、まるでキノコのように床には白い物体が散乱し、忘れ物として届けられても、そこにはすでにたくさんの同じく白い物体達が。結局どれが自分のAirPodsなのかわからず、茫然とプラットフォームに立ち尽くす人々の姿が思い浮かびます。

ということが言いたいわけでもなく。

ノイズキャンセリング機能もあり、更には外部音の取り込み機能もあるAirPods Proが当たり前になると、世の中における音の使われ方が変わって行くのではないかと思っているのです。

つまり、自分にとって不要な音が全て「ノイズ」として扱われる時代。

例えば、渋谷のセンター街。

雑踏のノイズだけでなく、本来は広告的に使われている音までもが失われていく... そうなると、消費者に対するプロモーションにおける、物理的なアプローチも変わっていかざるを得ない。近い将来、渋谷のセンター街を歩いても、何も音が聞こえない、そんな時代が来るかも、なんて。

言い換えると、それは、聴覚から視覚への偏重。

奇しくも、コミュニケーションそれ自体はすでに、視覚への偏重は顕著で、街中で電話をしている人を見かけることは少ない。仕事でさえ、Slackのようなツールがスタンダードになり、チャットやメッセージでのやりとりが当たり前。

こうなると、音はどこで向かうのか。そして、音から生まれる音楽はどこに向かうのか。最近は「こんな音聴いたことない!」と、音で興奮するような音楽に出会うことも減ってきたような気もする。

きっと、音楽が大好きな人のためにイヤフォンは進化して、ついにワイヤレスが当たり前になり、そしてノイズキャンセリング機能も当たり前になってきたこの時代。

なのに、音、はよりパーソナルなものになってしまっている。そして、音は殺されてしまう。街の喧騒はともかく、鳥のさえずり、打ち寄せる波の音、川のせせらぎ、それらはあるいはノイズなのか。音から音楽が生まれるとして、音が殺される時代に良い音楽は生まれるのだろうか。

音楽を聴きながらも、そう考えてしまう今日この頃。

P.S. 関係ないけれど、AirPods Proって「きのこの山」に似てますよね...

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