『希望の法務』を読んで
先日、ロースクールの同期とお酒を飲み交わしたのである。
私は司法試験挫折組ですが、彼は司法試験合格組。弁護士です。
今は彼もインハウスローヤーとして企業法務に携わっているそうなので、「じゃあ法務話でもしようよ」と飲むことになったのですが、結局最後にはマウントの取り合いというか上から目線での発言をひたすら受けることになりました。
なぜか僕の周りの法務属性の方々というのは、経験年数が上だからだったり、資格持ちだからだったりで、上下関係を作るのが非常に好きな人が多いようです。
法務一般的な話ではないと信じたい。
まあ、マウントを取られたり上から目線発言をされてもスルースキルを身につけているので気にしないのですが。
ただ、ふと気になったのです。
弁護士資格を持たない法務担当者<<<弁護士資格を持つ法務担当者
という図式が成り立つのは、法律知識があるからだと思うのですが、
でも、結局は、
人間<<<越えられない壁<<<AI
というふうになってしまうのでは。
だって、AIの方が明らかに法律知識持ってるだろうし。
じゃあ、法律知識を武器にする法務担当者なんて将来的に何の価値があるのだろう?
法務に希望はあるのか?
そこで手にした本が、明石雅弘さんの『希望の法務』です。
手にするといつも最初から最後まで熟読するのではなく、ちょこちょこ拾い読みする程度なのですが、読むといつもどこかしらに感銘を受ける本で、手放せない本です。
今、特に気になった言葉が、
となれば、世の中や会社の中に課題があればあるほど、僕らの仕事はたくさんあるはずなので、それはそれは希望だらけで、少なくとも食いっぱぐれないというか、食うに困っていられる状況ではないのである。
法務担当者に資格は必要か?
持ってた方がいいですよね。絶対に。
何より同じ法務担当者でも給料が全然違うから。
だけど、『希望の法務』を読んでいる限り、法務担当者に求められているものは、法律知識じゃないのだろうな。
求められた仕事をこなしつつ、問い続ける
もちろん、法務担当者もサラリーマンなので、上司に言われたことをやらなければならないし、「言われたことだけやってろよ」なんて上司の下にいるかもしれませんが。
それでも、契約書を越えて問い続けることが大事だと。
それをやり続ける限り、法務担当者に希望はあるのだから。