「人の振り見て、我が振り直せ」 〜学童の先生から学ぶ話〜
仕事柄、学童や保育園のお迎えから保育のスタートとなることも多いのですが、お迎えに行くとその施設の内部を垣間見ることがあります。
その中で1つ印象的な場面がありました。
学童にて先生(どの立場で働いているのか分からないため、このような表記です)の一人がその場を切り盛りしていたことです。ここでは先生aとします。
部屋中聞こえる大きな声で子どもたちへの指示をします。今日の予定を大まかに全体に伝えます。それから動きが遅い子がいたため、「1年2年はおやつ、3年は宿題部屋か教室の端っこで読書ね!」と再度、端的に指示していました。
そんな中トラブル発生です。
子ども2人が口論のケンカ。その仲裁に先生aが入ります。余裕がないためか、仲裁の全てを先生aが決め、どれが悪くてどうすればよかったのか、意見を述べていきます。
そんな最中、別の部屋でトラブルになりかける場面が目について、「ちょっとまって!」と言い残して、別のトラブルを阻止。
その場に残された子どもたち、唖然として先生aが戻ってくるのを待っていました。
数十秒後に先生aが戻ってきたものの、口論していた2人は話し合いをする意欲はなさそうにみえました。
そこへ、別の子どもがやってきて、先生aに連絡帳を手渡ししていました。連絡帳を出す所定の場所があるみたいでしたが、なくなく受け取った先生aは「結局あっちの部屋(連絡帳をだす部屋?)いくんじゃないの」とぼやきをいれていました。
僕が学童を去る際「さようなら」と声をかけると、仲裁していた先生aの「さようなら」が部屋に響いていました。
実は何度もお迎えに行っているので、このような状況が日常茶飯事だということは知っています。
先生aに限らず、みな声が大きく、支持する声ばかり聞こえます。常に大人の声が聞こえるんです。
初めてここにきた時の印象も「声が大きい」でした。
大きいのは声だけではありません。パタパタと小走りし、あっちの部屋こっちの部屋と移動を激しくしています。行動も大きいのです。
だからこそ、子どもたちの声も大きいし、行動も大きい。常に学童というこの場所全体がわさわさとしているのです。
なんというか、「託児所」という言葉通りと場所だなと感じてしまいます。
このような場所では、子どもたちが成長する機会やきっかけの多くを失ってしまいかねません。それどころか、子どもも大人もストレスを溜めやすく、日常生活への影響を及ぼし、また怪我や事故などのリスクも高まります。
大人の支配的な保育は、子どもの主体性をなくしていきます。創造力も思考力も奪っていきます。それは、成長の芽を摘んでいくことに他ならないのです。
では、どうしたらいいのかという事を考えていきたいと思います。
例えば、さきの口論では、子どもたち同士でまずは話合うのが先です。それでも解決したいのにできない時や、取っ組み合いのような安全性が確保されない場合には、間に入り、それぞれの意見を代弁して話す時も必要かもしれません。
本来はそれを子どもたち同士でできるといいですが。
ケンカやトラブルという経験から、人間関係や問題解決能力などを学んでいきます。
もちろんうまくいかないこともたくさんあることだと思います。
その失敗をフォロして学びにつなげていくのが、先生という立場の人間ではないでしょうか。
そもそも子どもたちに色々と注意する前に、自分たちの言動を見直すところから始めないといけないと思われます。
口先だけでは子どもたちから本当の意味での信頼をしてもらえるのは難しいことでしょう。
「人の振り見て、我が振りを直せ」
まさにこれですね。
僕も子どもたちからたくさんの事を学ばせてもらっているので、自分の在り方を見つめ直したいと思います。