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【箒屋の独り言】メンテナンスとは、心の余裕だ


気が付けば今年も師走に入り、あっという間に2020年も終わろうとしている。本来ならオリンピックイヤーになるはずだったが、コロナという世界的事件によってすっかり静かな1年となってしまった。


さて、この時期の農家は比較的仕事が落ち着いてくる。加温するタイプのハウスを持っていればせわしなく働き続けるが、重油を燃やしてまで季節外れの野菜を作ることにメリットを感じない私は基本露地栽培野菜のみだ。寒ければ人もコタツで丸くなるように、野菜も動きが極端に遅くなる。だから収穫の手間も、管理の手間も夏場に比べて10分の1くらいになる印象だ。


大体この時期に次の作付け計画や、肥料づくりであったり堆肥の仕込み、畑の土づくりにいそしむのだが、今日は久々に使い込んだ機械類のメンテナンスをした。現代人は忘れがちだが、どんな機械もメンテナンスが必要になる。1年間使い込んだ機械は泥と錆びで疲労しきっているものだ。部品の隅々まで確認し、オイルや掘削刃などの消耗品の交換を行う。これがまぁ、時間がかかる作業なのだ。気が付けば昼食も取らずに夕方になっていることもままある。


このメンテナンスという作業。重要なことだとわかってはいるが、この作業で誰かが得することはあまりない。利益になることもないし、結果が残るわけでもない。ただ、状況をマイナスにしないための維持行為がメンテナンスだ。効率主義、結果主義の現代ではあまり好き好んで行われない仕事だろう。いわゆるコスパの悪い仕事だ。


ただ、どんな機械も基本的な構造が分かっていれば突然の故障にも対応でき、効率の良い使い方も理解しやすい。根本的なところから理解しているので仕事効率もよくなるのである。その結果がメンテナンスという作業では表面化しにくいことにより、敬遠されがちな作業になっている気がする。


つまり、1分1秒も無駄にしたくない現代人にとってこの手の “一見非効率に見えること” はやる必要のない行為とみなされてしまいがちだ。そんな中でじっくり機械と向き合い、自分の癖で曲がったハンドルやクラッチを直し、グリスとオイルを入れ替える。ただそれだけの行動で自分自身に気持ちの余裕が生まれてくるような気がする。


もしかすると気持ちに余裕のある人ほど、よくメンテナンスをしているのではないだろうか? 機械だけではなく、自分の心や環境、自分自身のメンテナンスも含めて。


皆さんは自分自身のメンテナンスをできているだろうか? 一度焦る気持ちを落ち着かせ、自分自身と向き合い、心のメンテナンスをしてみてはいかがだろう。

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