見出し画像

2024年の総括

※ヘッダーの画像は僕のオリジナルキャラクター「メェル」君。女児向けアニメに出てくる妖精をモデルにしたおもちゃとして生まれましたが、本当は男の子向けのおもちゃになりたかった子です。

お久しぶりです。「ほうきとぼうし」縮めて「ほーぼー」と申します。

前回、僕の誕生日に「自己紹介」という記事を書きました。

思いの外良い反応を頂けたみたいで嬉しく思っています。

僕はこの記事をずーっと読み返すことなく今まで放置していました。
自分で書いた文章を読み返すのってちょっと恥ずかしいですし、当時の悩みを赤裸々に書いてあるものですから、向き合うのが怖かったのです。
今年のまとめにもう一度noteを書いてみようと思い、勇気を出して「自己紹介」を読んでみましたところ、「この頃はここまで考えてたんだなあ……」と感心するところがありました。

今回は前回の記事を踏まえつつ、あれから僕が考えていた自分の性別の悩みについて、改めてまとめていきたいと思っています。


現在の僕の性自認

前回の時は「基本無性別でほんのり女性」と書きましたが、あれからもかなり悩みました。
「やっぱり男の子になりたい!」「いやいや体が女だし私の性格はどう考えても女としか思えないだろ」「中性になりたい、女として見られるのは嫌だ」
ぐるぐるぐるぐる考えて、でもやっぱり僕は男の子でも女の子でもないのかなあ……というところに落ち着きつつあります。
前の記事を書いた時は誕生日でハイになってて、ちょっとカッコつけすぎてたんだと思います。後先考えずに発言してしまう癖がありまして……。自分が「ノンバイナリー」だと名乗る覚悟が足りていませんでしたね。今もこの記事を書きながらかなりビビっています。
(余談ですが、前の記事を書いた後にものすごい腹痛に襲われまして、「これはあんなことを言ってしまった天罰か何かか……?」と思ってしまいました)

以前結論を出したはずなのに、どうしてうじうじと悩んでしまったのか?それをここから書いていこうと思います。

「普通」じゃなくなるのが怖い

僕はリアルだとマイペースで人の目をあまり気にしない性格だと思われがちみたいですが、実際はかなり自分がどう思われるのか気にしがちなビビリです。なのに周りに合わせるのが苦手という、意味の分からない性能をしています。

僕は生まれつき女の体で、戸籍は当然女性。僕の本名は、聞けば誰もが女だと分かるようなもの。家族も会社もリアルの友達も自分は女だと認識しているし、僕も戸籍の性別に合わせて生活しています。
でももし自分が男でも女でもないのだとしたら?性別のことで悩んでいることを誰かに知られてしまったら?自分が「普通」ではないとバレたら周りが僕を見る目はどうなってしまうんだろう。一体どんな言葉をかけられるんだろう。
そう思うと怖くて、何の疑いも持たず「普通」の女の子でいられない自分がすごく気持ち悪くて罪深い存在に思えて、精神が不安定になることがありました。
時々、自分はやっぱり女の子だ、だから悩む必要は無い!と思えることもあり、そう感じられている間は元気でいられるのですが、ふとしたきっかけで悩みが再び湧き上がってきてしんどくなる……ということを繰り返していました。
段々と世の中の男女別で分かれていることに対してもやもやすることが増えてきたり、ネット等で見かけるトランスヘイト発言に触れて悲しくなったりして、もう悩みを捨てて普通になりたい、そうしないと苦しくて生きていけないとすら思いました。
自分は今まで女として生きてこられたんだからこれからもそうしていけるし、女っぽくない女でも別にいいじゃないか。悩むのをやめれば「普通」に暮らしていける。何も問題は無いはずだ。
そう考えて納得しようとしても、どうしても中性や無性への憧れが止められない。

実際のところ、今も悩みの答えがきちんと出せているわけではありません。でも、本を読んだり人に相談したりして、自分でも色々考えて、1つ気付いたことがあります。

自分の中の偏見の根強さ

僕は抑うつと発達障害の傾向があり、精神科に通っています。そして、自分がノンバイナリーなのではないかと考えています。
社会ではマイノリティ側にいる僕ですが、同じくマイノリティ側にいる人々のことをきちんと理解できているわけではありません。
僕の中には、残念ながらこれまで生きてきた中で学んでしまったたくさんの偏見があります。

  • 男性は強くてたくましい、女性は大人しくてか弱い

  • 心の病気は精神的に弱い人がなるもの、あるいは甘え

  • 障害を持っている人は可哀想

  • ノンバイナリーは単なる思い込み、中二病

etc……

今の時代からすると古すぎる考えかもしれませんが、内心こう思ってしまっているところがあります。
僕の中にこのような偏見が強く根付いているせいで、「自分がノンバイナリーだなんてきっと勘違いだ、もしそうだったら周りから悪く言われてしまう、生きていたら駄目なんだ」と考えてしまうのです。
文章で「そんなことはない、誰にだって自分の望む性別で生きる権利がある。他人の言うことなんか気にする必要は無い」と書くことは簡単ですが、そんなの綺麗事だと思っている自分がいます。性別に縛られずに生きたいという願いを誰もが理解してくれるわけではないので、自分らしく生きようとすれば攻撃されることだってあるでしょう。悩みのことを知られるのはとてもリスキーです。
しかし、悩みを手放して普通に生きようとしたところで、きっとまた僕は同じことで悩んで苦しむのでしょう。

だったらもう自分のことを受け入れるしか無い。その為にはまず、自分の中の偏見を無くす努力をして、少しでも受け入れやすいようにしていく必要があるのではないかと思いました。
これはかなり難しいことだと思います。誰かに対する差別や偏見の心は、ちょっと勉強したくらいでは消えてくれません。
でも、諦めずに学んで考え続けることで正しい知識を身に着ければ、いつかは偏見に対して自信を持って「違う」と言えるようになるかもしれない。
それから、偏見と戦う方法も学んでいきたいです。
今の自分は、偏見の目を向けられても「仕方ない」と諦めてしまっています。でも、そういう時は怒ってもいいんだということ、どのように立ち向かえばいいのかということを学んで、もっと自分のことを大切にしていけるようになりたい。
多様な性別やフェミニズムについて学ぶことを来年の目標にしていきたいです。

2024年の最後に

この一年は色んなことがありました。In Stars And Timeという神ゲーに出会い(詳しくは前回のブログへ)、このゲームが好きな方ともたくさん繋がることができ、多くの良い影響を受けることができました。
また、前回のブログに高評価をして下さった方々、本当にありがとうございました。僕の稚拙な自己紹介と悩みについての決意表明を読んで、どう思われたでしょうか。今回の文章についてももし何か感じたことがありましたらご意見をいただけるとありがたいなあと思います。
今後もまだまだ悩み続けると思いますし、もしかしたら性自認が変わることもあるかもしれませんが、どんな答えが出たとしてもそれをちゃんと受け入れられるように、勉強して強さを身に着けていけたらと思います。
ここまで読んで下さってありがとうございました。

2024年はお世話になりました。皆様良いお年を!

いいなと思ったら応援しよう!