今更ですが…本年もよろしくお願い申し上げます!
ぴんころ代表の吹田です。
このたびの令和6年能登半島地震により、犠牲となられた皆様に哀悼の意を表しますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
1日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。
さて、2024年になり早くももう一月の月末になろうとしています。
ご挨拶が大変遅くなり申し訳ございません!!
と、言うのも、年末から一月にかけておかげさまで忙しくさせていただいておりまして、noteを更新する暇がなかったというかなんというか……ごにょごにょ。
とにもかくにも、2024年になっていつの間にか日が経ってしまっておりました!ごめんなさい。
毎年、訪問看護ステーションぴんころでは、年末年始の12/29~1/3にお休みをいただきます。
普段祝日は通常営業になりますので、スタッフが有給休暇以外で唯一長期で休みを取れるのはこのタイミングのみです。
とは言っても、看護師さん達は必要な方のケアには奔走してくれており、本当に感謝感謝です。
私は毎年、1/1に母方の実家に行き、1/2に父方の実家に挨拶に行きます。
母は兵庫県養父市の出身で父は兵庫県三田市の出身です。
小さい頃は毎年年末年始に帰省しており、養父市では雪遊びをしていましたが、最近は本当に雪が少なくなりました。
子供たちも雪で遊ぶのを楽しみにしていたのですが、今年はあいにく全く降っておらず、むしろ暖かすぎて上着を脱いで走り回っていました。
1/1に親族に挨拶を済ませ、私の実家がある神戸市に帰っている途中、高速道路の電光表示板に『地震に注意!』との文字が。
車に乗っていたので気づきませんでしたが、実家につきテレビを見ると、本当に痛ましい映像が目に飛び込んできました。
特に衝撃だったのは、火事の映像です。
私は阪神淡路大震災が起きた当時は小学二年生でした。
地震が起きた時は何が起きているかすぐに理解できず、当時住んでいた団地の寝室から廊下へ母親に引きずり出され、上から布団をかぶせられ、ただただ泣いていたのを覚えています。
その後、少し落ち着いてから、父親に『この光景を覚えておき』と車で長田区に連れていかれました。
その当時の長田区は地震後の火災により本当にひどい状態で、幼いながらにその光景を鮮明に覚えています。
今回の能登地震の火災の映像でそのことが思い出され、胸が締めつけられる思いでした。
私たちに何か大きな支援が出来るというわけではありませんが、何か少しでもお役に立てるようなことができないか考えていきます。
また、もし自分たちが被災した際に、本当に備えることが出来ているのかを改めて見直し、我々のことを必要としている利用者さん達に、サービスを提供し続けられる環境を整えるように、防災意識を高めていきたいと思います。
当たり前だと思っていた日常が奪われることがどれほどつらいことか。
それを想像することは難しいかもしれませんが、私たちは日々、普通に生活が出来て、普通に働けることに感謝しながら、これから被災地が少しずつ良い方向に向いていくことを切に願いたいと思います。
少し暗い文章になってしましましたが、本年も日々感謝を忘れず、地域に貢献できるようにぴんころ一同頑張ってまいりますので、皆様、2024年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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