崖から手を離して飛び降りる
昔よく聞いていた歌を久しぶりに聴いたらひとりでに涙がこぼれた。
あの頃から失敗ばかりの自分を許せる日が来るのかなぁ。
いまの私には誇れるものも何もなくて、そんな自分が情けなくて、辛くなる。
でも、そう思う時、結局私は、人にどう思われたいか、で人生の価値を決めている。
そんな自分に今までずっと苦しんできた。
だけど、そうではないと、最近ちゃんと思えるようになってきた。
そのことを自分の中で深めたい。
自分というものを、承認欲求に委ねない。
はっきり言って、それは崖から手を離すような一大決心だ。
懸崖撒手
(請ふ、試みに手を撒せよ。且く手を撒して看よ)
そうして、
それさえも、こうありたい自分という理想を追うことにならないように気をつけないといけない。
私はこういうふうに生きていると凝り固まって執着しない。自分を守る鎧にならないように注意しながら。
(此の不生の時、是れ頑然なるにあらず)
自分のことを好きになりたい。自分の過去を自分で許せるようになりたい。
ただそれだけなのだ。
それを、人に認めてもらえるから自分が好き、ではなくて、そうではない自分になるためにどうしたらいいか。
意地、ではなく、強がりではなく、心から自分が好きと思えるには、
他人の評価を気にしないように物理的に一人になるか?
そういうことなのかな?
それでも今はちょっと心を落ち着けるために「何もしない時間」、ただここにいる自分に向き合う時間がほしい気がする。
それはナルシシズムではない。
自分を許す時間がほしい。
人と離れるのではなくて、人の評価を気にする自分を見つめて、向き合って、ばかだね、と慰めてあげたい。
心の中の自分と向き合って喧嘩して殴ってやりたい
真正面からぶつかってよくよく話をしてみたい。