2025年、何かあると確信した“助手席の膳”
2025年、長期休暇も終わり、
日常の流れもようやく掴みかけてきた頃だった。
年が明けたと言っても、生活のリズムは変わることなく、
結局、去年と同じような毎日が続いていた。
別にそれが嫌だというわけではない。
ただ、心のどこかで「何か」が変わればいいな、と漠然と願っていたのだ。
なぜなら、理由は定かではないが、
2025年には大きな何かが動く気がしていた。
それが自分なのか、周りの誰かなのか、それとも世間全体のことなのか
全く見当もつかないが…ただ、ただ何となく、
心の中に重く押し寄せる予感があった。
何かが大きく変わるぞと…
そして、その予感が、あながち間違いではないのかもしれない、
と思わせるような光景が目の前に現れた。
みなさんもよく見たことあると思う。
漫画で良くあるおなじみの
食パン咥えて家を飛び出す学生の描写を。
私は、あれになんの疑問も抱かずに子供の頃は見ていたが
大人になると疑問に思う。
そんな人見たことないと。
ツチノコのそれと同じだと。
早弁してる人も見たことないし、いなかった。
きっと私の生きている世界は
漫画の世界の様な、突飛な人がいないんだろう。
きっと一生、こういう方々と縁がない。
そう思っていた。
しかし、自分の中で大きなうねりを
感じるような光景が目に飛び込んできた。
それは、仕事場へ向かう信号待ちしていた時だった。
それまでは別に普段と変わらない風景
別に普段と変わらない時間帯
そう、いつもと同じがそこにはたくさんあった。
強いていうなら
信号待ちの時に横切る車は毎回違うのか…
それも正直わからない。
だってそんな凝視することはないから。
そんないつもと変わらない信号待ちの時に
人生で初めて見る光景が、私の前を横切った。
普通のセダン車。
車内は、運転者のおじさんと
助手席に座っている女性が楽しそうに喋っていた。
これだけなら別段、何も変わらない光景。
しかし、違和感があったのは助手席の人。
その人がなんと、茶碗と箸を持って何か食ってたのだ。
びっくりした。
二度見した。
見た瞬間、その助手席がリビングで
食事をしながら談笑している風景に見えたのだ。
自分の目を疑った。
これは夢かと思った。
そう思っていたら、やっぱり
確実に茶碗からご飯を箸ですくって食べている光景が見れた。
何故見れたかって?
そりゃ凝視してたからに決まってるしょ。
車が見えなくなるまで
狂ったように目で追ってたからだよ。
こんな現実、受け入れていいのだろうか。
だって食パンすら見たことない人生だったのに、和食って…。
おにぎりではなく茶碗と箸。
道具使うって…。
5段ぐらい飛ばした光景を見た気がする。
マジであの助手席の人は何があったんだ?
急いでたのか?
急いでたとしてその食事を助手席で取る?
キャンピングカーならまだいいけど、
セダン車の助手席で…膳?
あれは家族なのかもわからない。
あの車内では日常なのかもわからない
旅の途中かもわからない。
車中泊かもわからない。
後部座席に炊飯器でも置いてるのかわからない?
思考を巡らす。
そして辿り着いた答えは…やっぱりわからないってことがわかった。
贔屓目に見ても助手席で箸と茶碗を持ってる人を
肯定する考えが思いつかないと。
もしかしたらツチノコよりすごいものを見たかもしれない。
2025年、大きく動き出す様な気がする。