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ホツマ標(しるべ)~ホツマ読み解きのへそ~③ 「あいうえお」「きつをさね」 <123号 令和4年10月>

「あいうえお」は「○⊂△弓□」すなわち「空風火水土」の五大を表しています。ホツマツタヱの重要基本語句が、どのように五大配置されているかを考えてみましょう。

まず、「きつをさね」。ホツマの1綾も、「きつをさね」の考察から始まります。(色の配置はミカサより)

 「きつをさね」は、整然と五大が配置されています。
つぎに、「とほかみゑひため」を観てみましょう。

 「とほかみゑひため」には、「う音△」がありません。
 フトマニ図(元明け)の中心には、「阿宇和」の「△」があるので、その周りの天元神「とほかみゑひため」には「△」が無いのでしょうか?

 それでは、フトマニ図で天元神の周りに鎮座する「あいふへもをすし」を観てみましょう。

 「あいふへもをすし」には、五大が揃います。
 では、「きつをさね」と合わせて「そひカミ十一神」を構成する「あみやしなう/ムワタ」を観ましょう。


 「あみやしなう/ムワタ」には、「え音弓」と「お音□」がありません。
 でも、これは、「ヱト」の存在に因るのかもしれません。「あみやしなう」のムワタ神(六経神)は、「きつをさね」のヰクラ神(五座神)と合わさってソヒ神(十一神/ソヒの君/うましかしかいひこち神)を形成します。そのソヒ神とヱト(「え音弓」と「お音□」)が、組み合わさって、六十周期の「ヱト」が、構成されます。

 「キアヱ」から「ネウト」までの六十のヱトには、五大が割と平準的に配置されることになります。
 それでは、次に数詞を観てみましょう。「ひふみよゐむなやこ」では、五大はどうでしょうか?

 数詞には、このように「え音弓」が在りません。
 「十」を表す「そ」「と」や百の「も」万の「よろ」も「お音□」です。(千の「ち」は「い音⊂」)

 重要語句には、「たら父母」「をや親」「かみ神」「と斗」「かがみ鏡」「つるぎ剣」など、五大配置上興味深い言葉はたくさんありますが、最後に、シナの五行説との対比を考えてみましょう。

 シナ干支とホツマヱトを対比すると、「キ・い音⊂」が、東の位置のまま「木」に置き換わり、「ツ・う音△」が南に移って「火」に置き換わり、「サ・あ音○」が、南から西へ移って「金」に置き換わって居ることがわかります。「ヲネ」は「土水」で性質も位置もそのままです。インドの五大はホツマの五大と要素は同じですが、位置や方位は、異なります。

 シナの五行は、元々は天体概念でした。シナ五行の色の配置は惑星の色に基づいていると思われます。

 シナの(天体)五行説をかの国で方位や暦に配当した際に、ホツマヱトを組み込んだようです。我が国の「東西南北」をシナ風の「トンナンシャーペイ東南西北」の順に移植してしまったために、「火」と「金(本性はは空)」を置き換えてしまったのでしょう。

 本朝、天竺、シナの違いには、まだまだ興味深い謎があります。

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 シナの陰陽五行と本朝の五大「あいうえお」「きつをさね」には、似て非なる性質があります。
 結論から言えば、シナの陰陽五行は本朝の五大哲学「陰陽五大」に淵源し、それを惑星配置に転換して、さらに戦国時代に相生相剋理論を組み入れてつくられたものです。
 シナの陰陽五行説はその後、占術暦法や医術養正など実用的な需要に合わせて改良成熟し、現在の形になりました。平安期には本朝に逆輸入され、以来、本朝でも尊重されてきました。けれども、その奥義を極めるには、本朝の五大、その秘教の根幹にある「モトアケ」すなわちフトマニの理会が必要となります。
 シナの陰陽五行説と本朝の陰陽五大説を比較する際に、その差異の要点は、方角にあります。「キツサネ東西南北」と「トンナンシャペイ東南西北」の配置の違いから読み違いが生じます。さらに「空=ウツホ→ウツロヰ」の取り扱いに試行錯誤が重なり、学説各派が生じたのです。


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