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駒形一登 全仕事 0017

和歌

『和歌』というのは「漢詩に対して、上代からわが国に行われた定型の歌」と辞書にはある。
しかしホツマツタエによると、「わか」は、もともとは人の名前である。
「ワカ姫 (稚日女尊)」という姫がいて、「ワカ姫の歌」が簡略されて「ワカ (和歌)」になったようである。

「ワカ姫」は、「ワカヒルメ (若日靈女)」とも「ニフツ姫 (丹生都比賣)」などとも呼ばれていて、いろんな神社の祭神として祭られているのであるが、その正体は不明であった。
ホツマツタエは、「ワカ姫」は「ヒルコ (蛭子)」の別名であると明かしている。

「古事記」や「日本書紀」によれば、蛭子は、伊弉諾 (いざなぎ)・伊弉冉 (いざなみ) 二神の間に最初に生れた子で、三歳になっても脚が立たず、流し捨てられたと書かれているが、その後どうなったかは書かれていない。

ホツマツタエは次のように伝えている。

ヒルコはイザナギ・イザナミ夫妻の最初の子で、 筑波の「イサ宮」で生まれる。
ヒルコが3歳を迎える年、父は42歳、母は33歳であり、今で言う厄年に当っていた。
この厄がヒルコに及ぶのを防ぐために、イワクス船にヒルコを乗せて流すことにした。( 厄を「水に流す」 )
これを臣下のカナサキ (宇都志日金折命)が拾い、両親に代わって、西宮の廣田宮で育てる。
(西宮神社の由緒を調べると、その痕跡を見ることができる。)

さて、その「ヒルコ」がどうして「ワカ姫」と呼ばれるようになったのか。

厄に祟られることなく無事に成人したヒルコだが、彼女が紀州に住んでいた時、田がイナゴに襲われる。
それを聞いたヒルコは一人現場に急行し、妙なことを始めるのである。

田の東に立って、ヒオウギの花を貼り付けたヒノキの扇であおぎながら、
ある歌を歌いだし、それを360回繰り返した。

その歌とは

たねはたね  うむすきさかめ 
まめすめらの そろはもはめそ 
むしもみなしむ

するとどうだろう。イナゴはさらりと去って、枯れた稲が若返ったのである。
(このイナゴ祓いは、現在も御田植で使う「田扇」や、熊野那智大社の「扇祭」の神事として残っている。)

この「稲を若返らせた姫」から「ワカ姫」の名が生まれたのである。
「ワカ (若)」は「沸く」の名詞形で、「勢い・盛り・繁栄」などの意。

また紀州の豊穣の護りとして「タマツ宮 (玉津島神社)」を建て、ワカ姫の住まいとした。
以降紀州は「ワカの国」ともよばれるようにもなる。(今は和歌山になっている。)

ちなみに「生田神社」という神社は「田を生かす神のやしろ」と言う意味だと思うが、この神社の祭神がまた「わかひめ (稚日女尊)」である。

その後、ヒルコはオモイカネ (思兼神) と結婚して、タヂカラヲ (手力男命) を生む。

参考サイト: http://gejirin.com/hotuma01.html

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 今回から、駒さんの「ホツマツタヱの面白記事」シリーズを、たどっていきます。初回は、(駒さん推しの😁)ワカ姫ですね。
 >「ワカヒルメ (若日靈女)」とも「ニフツ姫 (丹生都比賣)」などとも呼ばれていて、いろんな神社の祭神として祭られている< 御神格ですが、その正体は、日本書紀や古事記では探ることが出来ません。「消された女神」のひとりなのです。
 ですが、ホツマツタヱでは、40章ある長編物語の最初にこの「ワカ姫」の伝承を書き記します。ホツマツタヱでは大切な女神なのですね。何故、大切かというと、この女神は、「ウタの神様」だからです。
 ウタの神様、ウタ、つまり今日「和歌」と呼ばれている五七調の大和言葉歌謡にこの女神ワカ姫は深く関係するのです。「和歌」とは、実は「ワカ姫のウタ」だったのですね。
 ワカ姫は、「ヒルコ」というお名前が本名です。ホツマツタヱでは、この本名を「イミナ(斎名・諱)」と呼称しています。ヒルコ姫は、何と天照大神の姉神であったという異色な伝承が、テンポ良く語られます。

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ホツマツタヱの聖地「賀茂神社」の岡田宮司登場です ↑

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