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【ホツマの論点】 トヨケノリと即身仏 <137号 令和7年2月>

 即身仏は、ミイラとよく混同されます。エジプトのミイラは有名ですね。しかし、ミイラは予め脳や内臓を抜き薬剤によって防腐処理をされたものが多く、人為度が高いことが特徴です。即身仏とは、そのまま形状を留めたまま自然乾燥したもので、ほぼ覚悟の餓死であり、両者には「本人の意思」に明確な違いがあります。

 即身仏は、即身成仏と言葉は似ていますが、即身成仏とは真言密教における悟りの在り方であり、生きている人間が現世に存在しながら大日如来と合一して仏となることを云います。即身仏は、悟り(本覚)の概念ではなく、肉体が死んでもその後に、肉体さえ物理的に仏となり永遠の存在となることを云います。(空海の場合は、即身成仏を果たしてそのまま即身仏となったのかもしれません)

 即身仏は、「生き入定」とも云われ、壮絶、非情な趣があります。富士信仰の食行身禄も富士山八合目で覚悟の入定をしていますが、現存する日本最古の即身仏は、新潟県長岡市の真言宗西生寺の弘智法印とされ、上越には即身仏がとても多いのです。湯殿山系山伏の系統にその流儀が色濃く伝承されているように思われます。

 このことは、ホツマ愛読者にとっては「トヨケノリ」との関連を想起させずにはいれません。「トヨケノリ」とは、豊受神がアマテル大御神にすべての道奥を授けた後、生きたまま洞の中で入定し、「死して後も守り神となった」その全身全霊かけた誓いの行儀です。イサナギも「天に昇り(再び)緒を還し 闇を治す神として 留まる」ことを選択しています。クシヒコが、逆矛を持したまま三輪山の洞に入って「道が衰えたら また出でて興す」と「時を待つ」かの如く入定したことも有名です。「護国の鬼となる」気高い覚悟といえます。その創始者のトヨケの伝承が、トヨケ神の祈りの聖地である鳥海山ならびに湯殿山で脈々と息づいていたからなのでしょう。

 本誌に長らく貴重な連載を続けて下さっていた「越後の仙人」こと駒形一登さんが、急逝されました。独り暮らしされていた駒形さんが「入定」を決意されていたとは友人のわたしは考えていません。けれども、その生きざまは、写本を再発見された後にホツマ研究と写本探索に生涯を捧げた松本善之助氏や、三部作を完成したばかりだった千葉富三氏と同じように、「ホツマを追い続ける途上の神上がり」であったことに、深く思いを致します。松本先生は安聡写本と『月間ほつま』を、千葉先生は三部作と『あらまし』を、そして駒形先生は膨大緻密なネットのデータベースを遺されました。わたしはその姿に「生き仏」を感じずにはいれません。

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 とらさんが三代目編集長を務める『検証ほつまつたゑ』最新号(137号)の巻頭論説です。駒さん駒形一登の訃報を知って書き留めました。
 越後に即身仏(生きたまま入定しホトケとなる)「ミイラ仏」が多いことは知られています。何故、それを覚悟して身をなげうつ方々がいらっしゃるのか、何故、越後に多いのか、そして何故、駒さんは枯れる道を選んだのか、とらさんなりに考えてみました。

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」

という孔子の言葉があります。「現世に励め」とも「生きる意味」とも「死ヘの達観」とも、さまざま解釈されています。

 友人や親族の死、つまり愛した者の死は、己の生を考える切ない機会です。切れることなど思いもしない時の流れの、そのはかなさと、けれども同時に、とこしなるきづなを思います。切れても結ばれるメグリを思うのです。

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本論とはまったく関係ありませんが、興味深い動画がありました。合わせてご覧いただきたいのですが、閲覧注意です。 ↓

菌、おそるべし、、、、

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