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駒形一登 全仕事 0002
エネルギー泥棒
2014-02-03 18:27
エネルギー泥棒
『他人から愛されたい、可愛がられたい』と思うのは
『他人からエネルギーを盗みたい』と思っていると同じである。
『他人から愛されたい、可愛がられたい』と思う者は、
それが得られない時
「すねる」「泣く」「わめく」「怒る」「死のうとするフリをする」・・・
あらゆることを試し始める。
どうして他所から愛/エネルギーを吸収したいと思うのか?
自分に愛/エネルギーを創造する力があるとは思ってもいないからだ。
もらうものだと固く信じているからだ。
これが子羊 (犠牲者) である。
彼らの幸/不幸は他所から奪えるエネルギーの量で決まる。
自分だけじゃなくてみんなそうだと思っている。
実際そうだろう。
よってこの世は奪い合いの世界となる。
こんな話を読んだことがある。
地獄には様々な地獄があるが、どの地獄にも同類が集まる。例えば盗人地獄というのがあれば、そこには盗人ばかりが集っている。
彼らはそこで互いに盗み合うが、盗んでも盗んでもまた盗まれるので、その内にバカらしくなる。
この時、その地獄から脱出するという。
どこか現世と似てるが、こっちはまだ奪い合いに飽きていないらしい。 むしろ楽しんでいるようだ。 奪い合いがバカバカしく思えるのはいつのことなのだろうか。
「奪い合い」は方向性を+-を逆にすれば「与え合い」と等価だ。ユダヤ教のエッセネ派達はその小社会でこれを実践したという。
『乞われたものは何でも与えるべし』という律があった。
これも、欲しいと言ってもらっても、乞われればまたすぐ与えねばならない。同じだ。でもこの方が早く飽きそうだ。
何故なら「奪う・盗む」という行為は基本的に「隠れて」行うものだからだ。相手に気づかれなければそれで済んでしまう。また金品以外の場合では、自分が奪っていることにも気づいていない場合が多い。だから気づかれ、気づくまでは止むことがない。一方「与える」の場合には無意識ということは少ない。
それにまた「奪い合い」はおもしろ楽しいゲームなのだ。トランプ、花札、将棋、囲碁、パチンコ、公営ギャンブル、スポーツ、ミスコン、選挙 ・・・ みな奪い合って勝敗を決するゲームだ。
勝ってうれしく負ければくやし、いずれにしてもやめられぬ。これぞこの世の醍醐味か。
@gejirin1 Twitter 2014/02/03
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駒さんのちょうど11年前のブログです。駒さんの「浮き世観」が、よく滲み出ています。宇宙の誕生は混沌が陰陽で別れることの決意から始まった、という認識が駒さんの宇宙観です。何故、陰陽で別れることを望んだかというと、壮大なる愛の実験だったから、と云うのが駒さんの理解です。
けれども、生まれた世界の最高傑作であるはずの地球では、「奪い合い」ばかりが、横行しています。
チョイとひねくれた駒さんは、「奪い合い」と「与え合い」を対比して、それを同価と観ています。どちらも、はかなく、何時かは「飽きる」に違いない、と。でも、「与える」側には「自意識」が高く、「飽きる」ことが早いだろうと指摘します。一方の「奪い合い」は、勝敗の入れ替わりがあり、「おもしろ楽しい」。勝ってうれしい、負けてくやしい、の「奪い合いゲーム」に熱中して、「やめられない」とは、まさに人類の歴史のある側面を言い得ています。
ホツマツタヱの世界観と人生観は、それを超越していて、本来の「宇宙愛」を表現していたから、駒さんは没入したのでしょう。「ゲーム」の浮き世から超越して、駒さんはたったひとりで独究生活に入られたのです。
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「面白くなくちゃ、、、」の世界観 ↑ は、もっと可能性があったはずなのに、やはり「奪い合い」のゲームに堕落してしまいました。糸井重里さんの「おいしい生活」コピー出現の時には、何かもっと精神的な次元超越を予感させたのですが、ダメでした。バブルの(とその崩壊)経験も、わたしたちに覚醒はもたらさなかったのです。