沖縄の伝説のロック・バンド「紫」に聞く "今" と "想い"
※こちらは8月19日の再現1977の前にメンバーに取材したものを編集した記事になります。
【当時の沖縄でのライブやデビュー話】
山本隆士 : 8月19日、HOT STUFFの創立45周年にあわせて、1977年に武道館で行われたライブをオマージュし、今回『日本ロックの夜明け前』というタイトルで日比谷野音にて、皆さんがライブをすることになりました。
まず、紫というバンドは沖縄の米軍基地で腕を磨いてきた。と言われている
バンドでありますが、その頃のお話からお伺いできますか。
ジョージ紫(Key):まあ基地の中や、基地外のいろんなクラブでも演ってました。とくにアメリカ人の観客からの影響は大きかった。
宮永英一(Dr):沖縄は米兵が多くいたから観客もアメリカ人が多かったんだ。ライブハウスに来る観客は本土での本物の音楽を知っている人やバンドをやっている人が多くいた。そのため無茶振りがはじまって、下手だとビンなどが飛んできたりした。
ジョージ:1ヶ月に28日間も通っていた。
山本:28日間!?!?!
ジョージ:毎日遠征していたんだよね。
宮永:45分のステージで15分の休憩。これを最低4回、全盛期は5~6回演ってたんだ。
ジョージ:だから練習するのは営業する前の1~2時間程度練習をして同時にレパートリーなども増やしていった。
山本:あー、同じ曲ばっかりやてると飽きられちゃうし、観客からブーイングが来るから自分たちのオリジナルを増やしていったんだ。
ジョージ:そう。最初の時期はね。
山本:他の沖縄のハードロックシーンとしての様子はどうだったんですか?
ジョージ:一番は観客のいる中で演奏することがお金儲けにもつながるし、ちょうどその頃は教職員でも少ない給料だったのに対し、
頭が悪い人でもお金を稼げるようになって若い音楽をする人たちも多くながれてきた。クラブもいっぱいあるし、米兵の観客も多くいたため下手でもどんどん雇って、でもやっぱり実力がないバンドは消えていった。
山本:その中で「紫」や「コンディション・グリーン」が生き残ってきたんだよね。
宮永:まあやっぱり出演するには契約があって、基本は半年くらい。でも下手だったら一週間でクビになるわけ。お店側のための契約だから僕らはクビになったことがないし、逆に1〜2年も続いていたから、2年間も同じスケジュールだと自分たちとしてもマンネリ化しちゃうんだよね。
だからライブハウスとの契約を辞めたいけども始めた当初はお金の面で助けてもらったり、恩があるから簡単には辞められないし、他の店舗に行くと裏切りみたいに思われる。
だから一回解散する訳(笑)
山本:そっか、解散してまた契約し直すんだ(笑)
ジョージ:当時除隊した兵隊たちがビーチでライブイベントをやっていたんだよね。
でも僕たちはクラブとの契約があるから出演できないわけ。
山本:あー、そこには出れないんだ。
ジョージ:そうそう。週末の夜とかにやるから出たくても出られなかった。そのうち自分たちでクラブを経営しようってなってできたのがライブハウスの紫なんですよ。
【デビューや全国でのライブ、楽器について】
ジョージ:その頃から本土のポピュラーな人たちが見に来てくれて、週刊誌なんかでも記事にしてくれたんだよね。そこから広がってレコード会社との契約もできてデビューに至った。
山本:紫っていう凄いバンドがいるぞ!ってね。噂がそうして広まってレコード会社から契約しに来たわけでしょ?その状態って沖縄にレコード会社がないから、ようするに東京から契約しに来てる、その状況って自分たちの気持ち的にはどうだったのかな。本土っていうかどこかに認められたって思えたのか。とか。--
ジョージ:一番最初にやった8.8 ROCK DAY 大阪・万博お祭り広場から火がついたかな。
次の年の4月にはファーストアルバムを出して、12月には2ndアルバムを出す勢いだったし、レコード会社との契約上次のアルバムの制作がどんどん進んでくわけだから、ライブハウスを経営しながらだとアルバムを作るにはすごい時間がかかった。
山本:でもさ、8.8 ROCK DAYってヤマハが主催だったけど全く関係なかったの?
ジョージ:制約は一つありましたよ。
山本:あーやっぱりあったんだ
ジョージ:僕たちはハモンドオルガンを使いたかったけど、ヤマハのオルガン使わされたんですよ(笑)
山本:そうかぁ。なるほどね
ジョージ:でもみんなハモンド使ってると思い込んでるけど、
あれはヤマハのYC-45Dなんだよね。
山本:あー、そうだったんだ
ジョージ:あれレコードだけ聞いたらみんなハモンドオルガン弾いてるよなって思ってる。でも、ヤマハからはドラムセット一式と、マーシャルとかもヤマハが扱っていたからモニターで使わせてもらったりもした。
山本:そうなんだ。
下地行男(Gt):ギター2本モニターでもらったんだけど使い方がわからなかった。(笑)
ジョージ:ストラト使ってたから
山本:ヤマハのSCもらったんじゃないの?
下地:なに貰ったんだっけ、、2本も貰ったんですよ。
ジョージ:清正さんは、レスポール使ってたから。
山本:あー、清正さんがね。
下地:それを2本貰ってステージで使おうだなんて知らなかったもんだから。
山本:それっていきなり決まったの?
下地:いやいや、ステージでって言われなくてこれを渡しますって。って言われてまさかこれをステージで使うって思ってなくて。
山本:でも使ったの?
下地:沖縄に帰って友達に貸したら無くなっちゃった(笑)
山本:なんだよ(笑)結局一回もステージで使ってないんだ。
下地:でもモニターの感覚もないから。
宮永:基本はずっとヤマハのドラムを貰ってたけれど、あんまりステージ上で使わなくて、ヤマハさんには失礼なことしたなって。多分ヤマハさんはモニターで使ってくださいって気持ちでくれたから。それから最近モニターっていうのを知った。
下地:その時にフェンダーじゃなくてヤマハのギター使っとけばあと2、3本貰えてたかもね。(笑)
【東京でのデビュー話】
山本:その後、いろんな方に認められて東京でレコードデビューしたんだよね?
ジョージ:そう。レコードも売れて、フェスとかにも呼んでもらえるようになってそのうち沖縄から東京に移動するのにお金がかかるから東京に住むようにいわれたけど、絶対にそれはできないと断った。(笑)
山本:それはそうだろうなぁ
ジョージ:もう東京で絶対に生活できないだろうし、ちょっと難しくなったと思うんですよ。でも今の沖縄の若いバンドは飛行機代も安くなったから沖縄に住みながら通うことができる。
山本:そうだよね。
ジョージ:でもそう頻繁には呼んでもらえなくなったかな。ただ、大きいスポンサーのイベントで価値になると思ったら呼んでくれたと思う。だからそういう形でCharとBOWWOWと一緒にコンサートってことで本土から関西の方まで最後は武道館で締め括った。
山本:ようするに8.8 ROCK DAYがきっかけになって、こっちでレコーディングしてライブもこっちでやるようになったんだ。だけど当時の8.8の時の反響って僕も行ったからわかるんだけど、その後の紫自体のコンサートは8.8と同じくらいの反響はずっとあったの?
ジョージ:まあその時はね。8.8のときは今でゆうLOUDNESSの高崎晃とか、影山ヒロノブとか色んな人が見に来てくれてたんですよ。高校生の頃とかにその時の演奏を見て“自分たちもやりたい”って思ってくれたみたいで。
山本:逆にそういう人たちに影響を与えたってことね。
宮永:ドキュメンタリー映画に出てるね。その頃の紫に影響受けた人たちが大体出てるからね。
山本:そうそうそう(笑)あのときはLOUDNESSのファンとかも来てたんだよね。
【紫のオリジナル曲について】
山本:オリジナル曲とかをやり始めてステージに立つ時はどんなことを考えてましたか?
ジョージ:当時はね、デビューする前72年から73年にかけてチャンピョンっていう沖縄のライブハウスで契約して演っていたんだけれども、その時に琉球音階とかも入れてみたりして、実践的にインストのフリーフォールのところで演奏したりした。その頃からオリジナル曲も作るようになったかな。
山本:オリジナル曲の反響はどうだったんですか?
ジョージ:一つ目のアルバムで作った『DOUBLE DEALING WOMAN』は当時反響が良かったかな。
山本:『DOUBLE DEALING WOMAN』はいい曲だよね。
ジョージ:音楽番組で取り上げてもらったりもしてね。
山本:それからどんどんオリジナル曲も書くようになって、演奏して、ウケていったんだ。
ジョージ:2ndアルバムとかライブアルバムとか出していって。
当時は45回転の小さい30センチシングルにして普通だったら33回転でやってたと思うんだけど、それを45回転にしたら音が良くなるからそれがすごく流行って、2つも出してるんですよ。30センチシングルを。
【忘れられないライブや思い出について】
山本:みんなの思い出に残る忘れられないライブといえば、76年4月10日会場が新宿厚生年金会館!
ジョージ:ワンマンでしたね。
宮永:それもあるし、北海道で厚生年金会館も2回満員にしてるからね。これがびっくりだよね。
ジョージ:実際にレコードの売り上げは東京よりも北海道の方が沖縄と同じくらいだったかな。
山本:そうなんだ。
下地:四国だけライブしたことないのかな。
山本:あーそうなの!
宮永:ないない。九州はいっぱいあるんだけどね。
山本:ここでこんなことあったなってエピソードとかはない?
ジョージ:北海道のもそうだし、もう一つは日光だったかな。
山本:日光!?
ジョージ:今回のCharとBOWWOWとのNEW WAVE CONCERTの時に
当時の司会だった、、思い出せない(笑)
JJ:ジョージさん。司会の方、泉谷しげるさん?
ジョージ:そうだ!泉谷さんだ。今度会ってみたいな。
山本:泉谷しげるにまた司会やってもらえばいいのに(笑)
宮永:おもしろいね(笑)
山本:まあ、そんなエピソードがあったよってことだね。
今回の再現で久しぶりの対バンライブになりますけど今の心境的にはどうですか?
宮永:やっぱり嬉しいよね。
ジョージ:なっていったらいいかな、同窓会みたいな感じかな(笑)
山本:同窓会?そういう気分ってことか(笑)
宮永:ここまで元気で生きてられるってことだけでも嬉しいことはないよ。
山本:そうだよねぇ。だからそれを再現するわけだからね。
宮永:HOT STUFFにはほんとに感謝してますよ。
山本:実はね、1977年って僕が日比谷野音でヤング・ギターでGUITAR WARSをやってた時期なの。そのとき紫は出てないけど、それこそCharとか BOWWOWとかがいっぱい出てたんだよね。
だから今日の撮影をみて僕がプロデュースしたGUITAR WARSの再現かなって。
勝手に思っちゃったりしてさ。で、写真の撮り方とかも全部当時のように集めて撮って、ヤング・ギターの表紙にしたの。
ジョージ:素敵だね。
山本:うん。でも結局40…何年振り(笑)
下地:40…4、5年かな?
山本:かな。それでまたこんな形でできるって事が幸せだよね。
下地:そうだと思います。最高の幸せです。
山本:だからこないだCharも久しぶりに会ったら「いやぁ、もうなんだよ!」って言って色んな仕掛けた部分とかがあって、僕自身がすごく懐かしくて、8月のライブもきっとそうだけど今日は色んなことを思い出させてくれた日だったね。
下地:これがロックのパワーですね。
山本:そう。ロックパワー
ジョージ:ロックの力でみんな長生きしてるしね(笑)
山本:ほんとだよね
宮永:沖縄の我々と同じ世代の連中の中でも逝ってしまってる人もいますから。酒やら暴力やらでね。
山本:でもいまだに沖縄ってフェスティバル好きじゃない?夏になるとあっちこっちでフェスティバルやってるイメージ。今でも盛んにやってるんですかね?
宮永:やってやってる。
山本:やってるんだ。
ジョージ:もともと一回解散してなくなってるんだけど、83年に再結成してピースフルラブ・ロックフェスティバルに参加して。
山本:あー、ピースフルね。行った行った!
ジョージ:それが結局お客さんがいっぱい集まって来年もやろうよってなって、ロックコンサートじゃなく、ロックフェスティバルにしようってずっと続いてきたけど、コロナとか台風で一回なくなったけどそれ以外は雨天決行って形でずっとやってきた。それが日本のロックフェスティバルの歴史の中でも長い方に入ってくると思うんだけど。
最初はグラウンドアスレチックパークだったんですよ。だけど今は沖縄の大学の敷地で演ってるんですよ。
山本:あー、そうなんだ。
ジョージ:あそこでひとつがっかりする事があったんですよ。当時キャノンってところで演奏していてそのとき紫として再結成してこのコンサートに出ることになったんだけど、日曜日だったから本当は土曜日にリハーサルやるはずだったんだけど出来なくて、その代わりに照明だけはリハーサルしてるんですよ。
その時沖縄で初めてレーザーを扱うってなって凄かったらしいんですよ。でも、本番の時にわざとか意図的かわからないけど誰かが電源車の電圧を上げて、飛んじゃったんですよ。
山本:ゲェッ。
ジョージ:ほんと変な人がいたんだよ。
宮永:その時の司会がJJだったよね。覚えてる?
JJ:うんうん。オープニングアナウンスね。
山本:あー、アナウンスJJがやってたんだ。
JJ:客を盛り上げたわけよ(笑)「Are you ready!?!?!?!?」って。
下地:そうそうそう(笑)
【ファンの皆様へ一言】
山本:さて、ファンの皆様に一言お願いします。
ジョージ:うーーん。
山本:ロックしろよ?とか(笑)俺たちのロックを聴けとか。
ジョージ:俺たちのロックを聴けというよりは、一緒にロックをして楽しもうって気持ち。
山本:あー、そうだよね。
JJ:後年のファンも初めて聞くような人たちのためにも素晴らしいものを作り上げて、いつまでも思い出に残るようにしたいって思っているので、ぜひ観に来てください!
下地:僕が思うんだけど、健常者、障害者、全員出る!紫も一緒に。みんなでパワーを作り上げる。車椅子で来てもみんなと一緒に音楽を楽しむ。僕はこれを一番望んでいます。
宮永:紫を結成してから40年越してるわけでしょ?その間僕らはずっと音楽を愛し続けてるし、それを見てくれてた人も音楽を愛し続けてるし、僕はそこで終わりじゃなく新たな事が起こるんじゃないかって期待をしてる。
だから残された時間は少ないとは思うんだけど、命をかけたムーブメントなんだろうね。
ジョージ:要するにこれで終わりじゃなくてこれもまだ通過点ってことだよね。
宮永:今まで作品は僕らが作って完成するんじゃなくて、そこに観客がいてサポートする人たちがいて初めて作品として出来上がるわけだから、観客も重要な役割なんです。だから今度はお互いにいい作品を作れればいいなって思ってます。
山本:なるほど。
下地:あとひとつ言うなら、うちの孫が女の子なんだけどね、まだ14歳かな。女の子に多い難病でレッド症候群になってしまって、今は一人だと何も出来ない。そういう孫がいるんですよ。
彼女は僕がギターを弾いたり聴かせたりすると体でリズムを取ったりするんですよ。でも話はできないから、目で合図をしているような感じがするんだよね。
特殊学園って学校が沖縄にあるんだけど、そこの先生たちのほとんどが紫のファンなんですよ。だからそんな人たちのためにも一緒に音楽を作っていけたらいいなって思ってます。
山本:そうなんだ。
ジョージ:まあ、とにかく音楽のパワーですよ。
山本:そうだね。やっぱり音楽の力ってゆうのを届けたいね。
ジョージ:10年前かな、僕らと同年代くらいで音楽をやってる人がいて、奥さんと離婚してからは娘さん2人を育ててたんだけど、脳梗塞で倒れて生きる気力も無くなって、髪の毛も伸ばし放題、お風呂も入らない状態になっちゃって、そんな時に紫がライブをするって聞きつけた娘さんが本人に伝えたら急に元気になったんだって。それからはお風呂にも自分から入るし、髭も剃って綺麗にしてコンサートに来てくれて、そういう形でも音楽の力ってすごいなって感じるよね。
単純に老人ホームとかでも音楽療法ってのがあって、クラッシックとかやってたりするんだけど、ロックとか民謡とかその人が生きてた時代に聞いてたものが影響されてるはずなんですよ。
もうひとつは、北谷町って街があって、そこに僕らのすごいファンで13年前に脳梗塞?心臓麻痺?で無くなってしまったんだけど、彼の親が当時学校の先生だったんだよね。彼が高校生の時にライブとかにも連れてきてもらったりとかしてけど学校の先生だからロックは不良だって。イメージがあったりしてポスターも貼ってあって見つけてたら剥がしてたけど(笑)そんな風習があったんだよね。
この人も定年退職してから急に認知症になった母を沖縄に連れてきて紫のコンサートに連れてきてくれたんですよ。そしたら今までみたことないくらい元気だったみたいで(笑)
これも面白いんだけど、クリスが一番端でベースを弾いてるんだけどそれを見て、彼がクリスに向かって、こんな男なのって(笑)
音楽には人を元気にするようなパワーがあるんだよね。
山本:要するに紫の音楽は救えるものがあるし、パワーがあるんだね。
ジョージ:人を元気にすることもできるし。
下地:ワクチンです。
山本:そうね。人を元気にするワクチンだね(笑)
下地:お金はちょっと高いけどね(笑)
山本:いやぁ、安いもんですよ。だってみんなにそういう考えが根底にはあって、音楽をやってみんなにパワーを与えるって素晴らしいことだよ。
ジョージ:パワーを与えるじゃなくて我々もお客さんからパワーをもらえるからね。
山本:一緒だよね。音楽やってる歴史のあるバンドって古いって表現も変だけど、死なずに生き続けるでしょ。紫ってデビューしてから色んなバンドが出てきたけども、何かを被せようとしても紫って宝石は輝き続けるんだよね。その輝きをずっと感じているように僕は思います。
そういった心構えで僕らはずっと音楽をやってるからずっと輝けるよね。
ほんとにそうだよ。いつになっても輝いてるんだよ。紫が影響された音楽ってのは60年代とかって思って僕も学校とかで言ってるんだけど、知らないってゆう子も多いけどもロックの革命時代の名曲はいつまでも輝き続けるんだよね。
ジョージ:ジャズの評論家の植草甚一さんが僕らのファーストアルバムのライナーノーツ書いてくれたんですよ。ライナノーツというか帯?
山本:植草甚一さんが?
ジョージ:そうそう。
山本:植草甚一は僕がこの業界に入った時に大変お世話になった方で、僕も尊敬する一人です。
ジョージ:ジャズの方の専門だったかもしれないけど、君たちの出現は日本の歴史にインパクトを与えた的な感じで書かれてあったと思うよ。
山本:あーなるほどね。
ジョージ:素晴らしいコメントだったからこんな凄い人から。
Full Album『TIMELESS』
各音楽配信サイトにて配信中!
タワーレコード各店舗にて好評販売中
※一部店舗を除く
※沖縄では各店舗にて先行発売中
沖縄県では以下の店舗でご購入頂けます
〈CD・LP〉
高良レコード店(那覇市)/丸高楽器(那覇市)/照屋楽器店(沖縄市)/
RC宇座商店(那覇市)/キャンパスレコード(沖縄市)/
なんでもROCK店(名護市)
〈CDのみ〉
TSUTAYA美里店(沖縄市)/TSUTAYA読谷店(読谷村)/
未来屋書店ライカム店(北中城村)/高良楽器店(那覇市)
MURASAKI CONCERT TOUR:TIMELESS -- 混迷の時代を超えろ
《沖縄公演》12月2日(土)7th Heaven Koza
開場18:00 / 開演18:30
前売¥5,500(沖縄県民割¥4,500) / 当日券¥6,500 ※1ドリンク付き
予約・お問合せ:7th Heaven Koza メール:7thyoyaku@gmail.com
《東京公演》12月17日(日)恵比寿The Garden Hall
開場16:00 / 開演17:00
プレミアムシート¥15,000 SOLD OUT
指定席 ¥9,000(1ドリンク代別途必要)
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