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エミーナの朝(11)
内なる人格
誰かが話しかけた気がして目が覚めた。
自分の家だ。誰もいない。静かで、なんの異変も感じられない。
もう日が差しはじめている。空気は澄んで気持ちのよい朝である。
きのうはナゴンの恋人が判明した。思わぬ人だったが、ナゴンとは一層親密になった気がする。
とにかく結果オーライである。
晴れやかな気分で、いつも通りに家事のルーチンワークをこなす。
家事を一通り終えて、紅茶を淹れた。そしてソファに座り込んだ。
風が出てきて、窓の外のオリーブは銀色の葉を揺らしはじめた。
窓越しに遠くの雲を見ていた時、聞こえてきた。
「おはよう、エミーナ」
わたしは、無視して「フー厶、いい香り」と言ってゆっくりと紅茶を味わった。
カップを持って庭に出て、ベンチに腰掛け、紅茶を一口。
さわやかな朝の空気で深呼吸して、また紅茶を一口。
ああ、おいしい。
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今度は、背後から聞こえてきた。
「穏やかな君が一番だよ」
後ろを振り向いた。誰もいない。
また聞こえた。
「君の中からだよ。ぼくは君の夫」
エミーナ「え、あなたなの?」
夫「そうだよ」
エミーナ「え、どこだって?」
夫「君の中。 だから声にしなくても、思うだけで気持ちは伝わるよ」
エミーナ「どうして、頭の中にいるの?」
夫「君がぼくを呼んだから」
エミーナ「呼んだ?」
夫「正確には君がぼくを作ったから」
エミーナ「作った?」
夫「ぼくが倒れてもう助からないことが分かってから、君は意識していないが、毎日と言っていいほど、ぼくの夢を見ていたんだよ」
エミーナ「……」
夫「君との出会い、日々の生活、国内や外国への旅行、レストランでの食事、映画、コンサート、スポーツ観戦……そんな記憶の中のぼくに、夢の中で会っていた」
エミーナ「思い出だすわ。楽しかったわ」
夫「そんな夢を見ることが、君の精神状態をなんとか維持させていたんだろう。 ところが君はナゴンさんに出会った」
エミーナ「救われたわ」
夫「そう、君は彼女に救われた。 だから、ぼくとの夢は必要なくなった。 そのことが、ぼくの夢を見る部分を隠蔽してしまった」
エミーナ「そんな関係はわからないけど。 でも、仕方ないことでしょ。 わたしにはどうしようもない」
夫「ところが、ナゴンさんに付き合っている人がいることが分かって、君は動揺した。
そのことで、ぼくの夢を見る部分は、夫の人格として、君の中で息を吹き返したんだ」
エミーナ「そうね、かなり心が揺れた。 ナーチンを失うのが怖かった。
でも、きのう解決したわよ。 あなたのお父様がナーチンのお相手よ。
年齢も年齢だし、まあまあ落ち着いてるし、知らない男性よりも、ずっと安心感があるわ」
夫「そうみたいだね」
エミーナ「じゃあ、なぜ、あなたは、今、現れたの」
夫「単なる夢でなく、君の中にもう一つの人格として形成されてしまったからだよ」
エミーナ「だから、そのまま消えなかったのか。
そうすると、あなたは、わたしの中の別の人格だから、
わたしは多重人格者ということになるの?」
夫「そういうことになるね。 夫の人格として生きているから、考え方は違うけどね」
エミーナ「わたしは、今、ナゴンと楽しく付き合っているわよ。
しかも、これから、もっと楽しくなりそうな予感がするのよ」
夫「よかったじゃないか」
エミーナ「よかったですって? じゃあ、聞きたいわ」
夫「なんでも、どうぞ」
エミーナ「今ごろ、なにしに出てきたのよっ! もう現れないでっ!」
夫「なんだって?」
エミーナ「あなたは、もう必要ないわ。現れないでっ!」
夫「えっ! 先立った僕に対する、今までの君の想いはなんだったの? 随分な言い方じゃないか」
エミーナ「今、考え直したの。あなたが現れたから」
夫「どういうこと?」
エミーナ「あなた、言ったわよね。 穏やかなエミーナがいいって」
夫「確かに」
エミーナ「ふん! なにそれ!
あなたと、頭の中で、思い出話にふけりながら穏やかに暮らせっていうの?
冗談じゃないわよ。
わたし、まだ四十半ばよ。
人生これからよ。いろんな経験をしたいわ。
あなたの思い出なんかに縛られたくないわよ!
好きな人だってできるかもしれないわ。
もう、まっぴらよっ!」
夫「ちょ、ちょっと待ってくれ。
君を縛る気はないよ。君の中にもう一つの人格として形成されたぼくは簡単に消せないよ。第一、君が作り出したんじゃないか」
エミーナ「でも、もういらないっ!」
夫「あれあれ、一緒に暮らしていた時の、わがままな君に戻ってるじゃないか」
エミーナ「このおでこに軟膏つけたら、あなたは消える? 薬剤師に相談しようかな」
夫「おいおい、吹出物じゃないよぉ」
エミーナ「じゃあ、どうしたら消えてくれるの?」
夫「消す方法はぼくにもわからない。
だけど、ぼくは君に代わって表に出ることはないよ。
君が言わない限り、多重人格は誰にもわからない。
これからは、特に君から話しかけてこなければ、ぼくは応えることはない。
だから君の中に住んでもいいだろ?」
エミーナ「住むことをお許しください、でしょっ!」
夫「は、はい、住むことをお許しください」
エミーナ「しょうがないわねぇ!」
マウント取った!
これで、わたしの中の夫は、一緒に暮らしていたときと同じように、わたしの言うことを聞くようになるはず。
でもね、本当の気持ちを言えば、この情況は、幸せなことだと思っている。
だって、こんなわがままなわたしを、優しい夫が中で支えてくれるんだものっ!
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勿論、このことを心療内科の医師やカウンセラーに話すつもりはない。
こうして、頭の中にいる夫と暮らしていくことになった。