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自己紹介
初めに
はじめまして。NOHAIRS KIYOと申します。
まずは、読んでいただきありがとうございます。
なんの役に立てるかは分かりませんが、皆さんがよりよく生きれるよう
自信につながれば嬉しいです。
長くなりますが、僕の人生の一部をお話しします。
田舎育ちの10代
1974年10月7日、富山県出身の田舎で生まれました。
小中学生では、野球をやりこの頃まではレギュラーでもないのにプロ野球選手になるのが夢という平凡な思考の学生だった。
高校進学にあたり進みたい道も定まらなかったのですが、
唯一思っていたことは、周りと同じようにはなりたくない。
地元や友達と一緒の高校には行かず、ほぼ誰も進まない郊外の国立高専への進学を決める。
当時コンピューター関連の学科が新設され、真新しさへの興味のみで選択した。
ブルーの学ランという唯一無二な出立で、自転車で1時間もかけて通学。
しかし寮生が大半を占める学校生活で、寮生がマウントを取るという
今思えば学校内カーストの理不尽さに嫌気がさして一年たたないうちに退学してしまう。
その頃から東京への憧れが強くなり、一度学校へ納める予定のお金を握り締め当てもなく東京行きの列車に乗り込みワクワクと不安を感じつつも家出をした。
富山から上野駅に着き、微かな記憶をあてに公衆電話ボックスの電話帳から叔父の連絡先を探し、奇跡的に連絡が取れ保護してもらう笑
この時理由はどうあれ折角来たからと東京観光に連れて行ってもらったのが、更に東京へ来たいという思いを強くした。
公立高校の受験を受け直すも失敗し、大検を取るために猛勉強をはじめる。
18歳で無事に合格し、東京の専門学校へ行くことを決意。
当時お笑いを見るのが大好きで、番組の構成作家になることを夢みて東放学園放送専門学校放送芸術科に入学。
しかし2年の東京生活の間に、アルバイトで働き始めたレコード屋の業務が楽しくなりそのまま就職。給料の大半をらレコードやCD、洋服に注ぎ込み、当時住んでた家賃2万5千円の風呂なしアパートの家賃すら滞納する荒れた私生活を送り已む無く給料のいい仕事へ転職せざるを得なくなる。
暗黒期
当時の求人誌で給料50万、家、食事付という広告に惹かれ、ブラック企業へ足を踏み入れることになるとは。
その仕事は新聞の販売。実働15時間はあるんではなかろうかくらい軍隊かの如く働いた。
配達はもちろん、訪問販売の営業ノルマが半端じゃなく普通にできなきゃ殴られる世界だったので今思えばメンタルが鍛えられたのもこの頃からだろう。
そんな中25歳で結婚、30歳で離婚するまで3人の子供を授かる。
キツイ仕事だと分かりつつもやりがいや面白みも感じ、この世界で独立する思いで仕事に従事する。不規則な生活や過度のストレス、もちろん決定的な遺伝も重なり、髪の毛が薄くなり始めたのもこの時期。
何店舗か任され36歳で2度目の結婚。41歳で離婚し同時に仕事も退職。
営業のみで独立し訪問販売で生計をたてる。
あらがっていた髪の毛もいよいよなくなり39歳でスキンヘッドにする。
多額の慰謝料や荒れた生活を送っていたこともあり借金もかさみ、
今までの人生何となくフラフラと暮らして来たことを後悔した時期にあるメディアと出会うことになる。
それが、、、
「NOHAIRS」
革命的出逢いの連続
『薄毛男性も受け入れ堂々としていることでかっこいい大人になる。』
このコンセプトでお洒落でスタイリッシュに発信をするメディアを知った時に、かつてない衝撃を受け自ら取り上げて欲しいと売り込みをかける。
取材を受け、経験はなかったがファッションコラムの打診を2つ返事で受け、人生初のコラムを連載。
そんな矢先世間はコロナ禍に。訪問販売の仕事も出来ず廃業。
収入源も失いステイホームで将来への不安で一杯の中、NOHAIRSのYouTubeを始めるにあたりメインキャストに抜擢される。
YouTubeを始めることで、色々な反響コメントを頂くようになり、何も取り柄がないと感じ始めた自分に少なからず他人に影響を与えられる人という価値を見出す。
また発信者になることによって髪の毛の悩みは勿論、大小ひとには必ず悩みやコンプレックスがあり、そもそも他人と比べ本来自分が持っている唯一無二に気づかず終わる人生ほど無意味なものはないと強く感じるようになる。
コンプレックスこそ最大の強みだと。
批判的な意見や冷めた空気も感じることはいまたにあるけど、必要としてくれる人や肯定的に捉える見方が少数あるだけでも存在意義を感じる。
2023年10月。
動画やコミュニティ活動を通じ、スキンヘッドだからといって働き口も限られるとか、見た目で判断されると言った多くの声をもとに
NOHAIRSの運営会社であるPassion monsterが仕掛ける新事業の宅配事業に賛同し、ドライバーとして従事しながらSNSでのアンバサダーの役割を担う。
そんな時に僕の活動を見た映画制作会社から、自らのドキュメンタリー映画を撮らないかとオファーをいただく。
2024年クラウドファンディングで資金調達に成功。
2025年映画製作を開始する。
最後に
僕は特別ではなく至って普通。
でもその普通を、ちょっと見た目が奇抜だからとか他人と違うからってだけで普通であることさえ生きづらく感じる空気は本当に残念だと思う。何の取り柄もない僕が、何かを伝えられるのであれば、人は全て違うということ。勿論生きていく上での常識を踏まえた上で。
想いはあっても、なんとなく時だけが過ぎていっている人って多いと思います。僕がそうでした。
ですが、自分次第で何歳になっても変われるんです。
悶々と日々過ぎていってしまうと迷ってる方に、僕の発信をみて俺にだって、私だってできるんだと思って欲しい。
いくつになってもチャレンジしていく姿や、様々な人生体験で得た教訓を発信していきます。
何か、誰かのためになれば幸いです。
何卒よろしくお願いいたします。