学費でも、人気でも、偏差値でもない。地方私立大学の公立化で、私たちが注目すべきことを考える。
2月に入って各大学の志願者数を目にする機会も増え、入試シーズン真っ盛りだなと実感しています。今回、取り上げるのはそんな志願者数のニュースで、次年度から公立大学になる徳山大学の志願者数が大幅に増やしたというもの。私立大学の公立化は、時折、メディアでも取り上げられますが、その効果があまりにも一目瞭然でいろいろと考えさせられます。
ニュースのタイトルにもあるように、徳山大学の大学入学共通テストの利用選抜(Ⅰ期)での志願倍率が1.1倍から11.6倍にまで跳ね上がったようです。この上がり方は衝撃的といってもいいでしょう。記事にも書いてありますが、主な要因としては学費が下がったことと、コロナ禍のなか地元志向が強まったことが影響しているのではないか、とのことです。
2009年に公立化した高知工科大学を皮切りに、毎年のように公立化する私立大学があり、そのほぼすべてが(いったんは)志願者数を大きく増やしています。こういった地方私大の公立化は、安易な延命策だと批判する声も多くあります。とはいえ、地方、都市部、関わらずどの大学も教育改革に注力しており、そのなかで頭ひとつ抜け出るのは至難の業です。さらにいうと、都市部に大学が集中しているので、当然、魅力的な教育をしている大学は相対的に都市部の方が多いわけです。いわば地方が大幅に不利な状況にあるわけで、そのなかで地方の大学に人を呼び込む方法として、私大の公立化はわかりやすく効果的、というより唯一無二の切り札なのかもしれません。
また少し視点を変えて地方自治体から見てみると、大学の公立化はあくまで手段でしかありません。目的は学生が増えることによって地方経済をまわしたり、卒業後も居着いてくれることで地域の人口を増やしたり、つまりは地方の活性化につなげることが目的です。そう思うと、地方私立大学の公立化の成功や失敗を論じるのは、入試状況ではないような気がします。それどころか言い方は悪いのですが、増えた受験生は地方自治体からの“借り”で、これを返してはじめて公立化は成功したと言えるのではないでしょうか。
では何をもって借りを返したということになるのでしょう。大雑把には地方の活性化ですが、それだけは不十分、というか漠然とてよくわかりません。ちゃんと評価できる目標なり数値を社会に示し、その達成度合いを定期的に伝えていく必要があります。それがあってはじめて、公立化は延命策ではないと胸を張って言えるのではないでしょうか。また、私立大学の公立化は他大学から見てみればチート技を使って抜き去られたようなものです。そこに意義が認められないと、大学業界全体の教育改革の気勢を削ぐことにもつながりかねません。
いろいろと書きましたが、誤解なきように言うと徳山大学がこういうことができていない、というわけではありません。私立大学の公立化がニュースで取り上げられるとき、よく偏差値や志願倍率が上がったということだけに焦点をあてて紹介されるので、そこにモヤモヤがあったので一度書いてみた次第です。公立化で人がきた、ハッピー!で終わるのではなく、あくまでそこはスタートでしかありません。大学も、自治体も、社会もしっかりとそれを意識することが、結局は全員のためになるし、報道でその視点を強調していけば、いい意味でもっと公立化した大学が注目されるなるのではないかと思います。